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「清盛の時代」秘話

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平清盛の人生を中心に激動期を描く。
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記事一覧

最終回 平家は永遠に!

清盛の死の翌日、自身への追捕が無い事を確認して、後白河法皇は法住持殿に戻ってきました。そ…

高堀 枝裕二
6か月前
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第169回 清盛の死(3)

次第に意識が遠のいていく清盛を、妻の時子と忠臣の盛国が必死で看病しました。そこは盛国の邸…

高堀 枝裕二
6か月前
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第168回 清盛の死(2)

病床で清盛は、亡くなった人々の夢を見ました。祖母であり養母でもある祇園の女御、実は父と噂…

高堀 枝裕二
6か月前
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第167回 清盛の死(1)

治承5(1181)年正月14日。ずっと病床にあった若き高倉上皇は、遂に二十一歳で崩御しました。…

高堀 枝裕二
7か月前
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第166回 重衡の南都焼き打ち

話は少し遡って、治承4(1180)年12月28日、清盛の五男重衡は、平家に攻撃をしかける計画があ…

高堀 枝裕二
7か月前
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第165回 御子(みこ)姫君

後白河法皇から、高倉上皇が崩御したら自分の妃になってほしいという事を清盛は、徳子に伝えま…

高堀 枝裕二
7か月前
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第164回 還都と驚くべき提案

治承4(1180)年10月、思わぬ源氏や寺社の反攻に、福原京では、三男宗盛が清盛に請願しました。 「父上、京に都を戻して下さい。人心を安定させるためにも」 「六月に遷都したばかりではないか」 清盛は否定しましたが、しかし清盛の心を反転させたのは、高倉上皇の病でした。 「京に戻って朕は死にたい」 そう言われるのが清盛には堪えました。 清盛は渋々息子の言う事を聞きました。亡き長男重盛が言っているのだとも思って。 「とにかくせっかく造った内裏に主上の遷幸をされてから」 清盛はばつわ

第163回 義経と与一

頼盛への中傷が続く平家の人々に清盛は諭しました。 「確かにあの時、頼朝を助けたのは失策で…

高堀 枝裕二
7か月前
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第162回 維盛と頼盛

富士川から戦わずに逃げ帰った事に、清盛は激怒しました。清盛は、これまで戦いに負けた事があ…

高堀 枝裕二
7か月前
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第161回 富士川からの退却

※最近、左眼に炎症を起こしてしまって、またnote作成を休んでしまいました!この『清盛の時代…

高堀 枝裕二
7か月前
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第160回 頼朝と全成の出会い

治承4(1180)年10月1日、異母兄・頼朝の挙兵を聞いていち早く常磐の長子、全成(ぜんじょう…

高堀 枝裕二
7か月前
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第159回 源氏の挙兵相次ぐ。

治承4(1180)年9月2日、大庭影親が福原へ遣わした早馬が到着しました。その者は恐るべきこと…

高堀 枝裕二
7か月前
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第158回 頼朝の再起

景時は言いました。「ここには誰もいない。あちらの山が怪しい」 「景時殿、まことでござるか…

高堀 枝裕二
7か月前
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第157回 梶原景時

治承4(1180)年8月17日、頼朝はついに挙兵しました。 目代(もくだい:国司の代理の地方官)である山本兼隆を血祭りにし、意気を上げました。 ところがその後の石橋山の戦いで三百の頼朝軍は三千の大庭(おおば)軍に惨敗しました。頼朝ら僅かの主従は命からがら大きな木の穴に隠れました。 そこへ大庭の軍が探しに来ました。 その一人、梶原景時は、もし自分が発見したら取り逃がしてやろうと決めていました。 「もし注進しても大庭の手柄にしかならぬ。俺は頼朝に賭けてみよう」 平家から源氏に乗