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第24回 リーゼ・マイトナーの脱出(3)

ボーア夫妻が帰った後、オランダの科学者で49歳のコスターから自分がベルリンに行って、リーゼを国外に手引きするという熱心な説得の手紙が来ました。コスターはオランダ・フローニンゲン大学の教授となっていました。

さすがに脱出の事は、少し距離を置いていた所長ハーンと相談し、建久書が7月16日から6週間の夏の休暇に入るので、その前後に脱出しようという事を計画し、コスターにも知らせました。コスターは7月11日にベルリンに来るという連絡がありました。その頃、研究所にも親ナチの研究員が何人かいて正式な国外脱出となると密告される危険性があったので極秘に事は進められました。
とりあえず7月13日からオランダに1週間休暇旅行をすると、リーゼは他の研究員たちに言いました。
7月12日、前日ベルリンに着いていたコスターは約束通り早朝やってきて、他の研究員に気づかれない様に打ち合わせをして帰っていきました。
その夜、コスターは別の所に泊り、リーゼはハーンの家に泊りました。簡単な荷造りをしている時、ハーンは何かの足しにと、自分の母親の形見のダイヤモンドの指輪を渡しました。リーゼが固辞すると、ハーンは、
「国境を無事に越える事ができないかもしれない。その時にでも使ってくれ」とリーゼの手に無理やり指輪を握らせました。事実、国境を越えられずに逮捕されたユダヤ人は多く強制送還されていました。
ハーンはリーゼを守ってやれないお詫びでもありました。リーゼは涙を浮かべました。やはり30年来の二人の研究の絆がありました。(続く)

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