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第72回 オッペンハイマーの結婚

1940年秋になって、医者ハリソンの妻でありながら、キティは恋するオッペンハイマ―の子を妊娠した事が分かりました。
将来の「原爆の父」となるオッペンハイマーはハリソンと話し合い、規定の6週間の別居を経て、11月1日に離婚を承諾させました。
その日の内に2人は結婚しました。オッペンハイマーの親戚は、結局3度の離婚歴ある女性との結婚に反対し憤慨しました。オッペンハイマーの両親は他界していましたが、親戚のある女性などは、
「あのメス猫め!」と罵倒しました。しかし2人は幸せでした。

その直後の11月5日、ローズベルトは、時が時として、アメリカ史上初めて三選されました。その中で、若者を戦場には行かせないと公約してしまいました。ローズベルトは喜びと祝福の中で心中思いました。
「後はどうやって大戦に参加するかだ。やはりここは、日本を利用して噛みつかせるしかないな。日本を痛めつけて歯向かわせてやろう」
不敵な笑みを浮かべるローズベルトでした。

更にその4日後の11月9日、イギリスの元首相のチェンバレンが71歳で亡くなりました。ひたすら世界の平和を祈り行動しました。しかし大きな黒いうねりの前に、それはちぐはぐな結果となって彼を苦しめていたのでした。(続く)

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