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第75回 日ソ中立条約ー偽りの条約

1941年4月13日、日ソ中立条約が結ばれました。しかしこれはお互いに騙し合いの条約でした。
ソ連は2年前に独ソ不可侵条約を結んでいましたが、もちろんヒトラーを信じていませんでした。ヒトラーは条約など踏みにじって宣戦布告なしで攻め込んでくる輩でしたから。
もしソ連がドイツから攻められた時、背後から日本に攻撃されないように、また日本は、南方進出のために米英と戦わなければならないことを想定し、要するにお互い挟撃を避けるための条約でした。そして隙あらば条約を破棄して攻め込む気持ちは両者共に分かっていたのです。

しかし条約締結後のスターリンは上機嫌で、かつて満州国設立に反対する国際連盟に対して、堂々たる脱退演説で名を馳(は)せた松岡洋右(ようすけ)外務大臣をモスクワの列車まで見送りました。
そして乾杯、乾杯で酒を浴びるほど飲みました。列車の発車を1時間遅らせることまでして飲むほどでした。
しかし一方、同盟を結びながら日本とドイツはちぐはぐで、このたった2カ月後の6月にドイツはソ連に突如侵攻し、2千万以上の戦死者を出した悪名高き独ソ戦に突入します。
また松岡は独自の外交路線で、ナチスが弾圧するユダヤ人を難民として庇護していました。(続く)

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