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第45回 高子の歌と行平参議昇進

高子の一首だけ残っている歌が、『古今和歌集』春上4番にあります。
「雪のうちに春は来にけり 鶯(うぐいす)のこほれる涙今やとくらむ」-まだ雪の残っている内に春はやって来たのですね。谷間に籠っている鶯の氷(こお)った涙も今は融けているでしょうかー
立春だというのに雪が残っている。何か現代でも通じる様な歌ですね。いつの正月に詠んだ歌か分かりませんが・・・

貞観12(870)年正月13日、業平の異母兄行平(53歳)は参議に昇進します。台閣をなすメンバーに入った訳です。
行平は権力者良房とうまくやっていました。業平は何となくそれが気に入りません。このしばらく後でしょうか、藤の季節に行平の邸で酒盛りがあるというので業平も呼ばれます。『伊勢物語』第101段にその様子があります。

立派な藤の花が瓶(かめ)にさされています。房もたっぷりで垂れています。業平が歌を所望され、詠みます。
「咲く花の下にかくるる人おほみ ありしにまさる藤のかげかも」-大きく咲く花の下にかくれる人が多いので、以前より増して大きくなる藤の木陰であることよー
業平の特有の意味深の歌です。「藤」とは当然「藤原氏」の事で、権勢の陰で庇護をこうむる人が多いと、あてつけにも取れます。
座にいた人々も興醒めとなり、「どうしてこんな風に詠むのか」と問うと、業平は澄まして、「藤原良房様が太政大臣で、その栄華を讃えた歌ですよ」と言ったので、人々は黙ってしまったという事です。
業平の歌は、正反対の意味に取れるという事で有名だったようです。(続く)

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