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第59回 ソ連のフィンランド侵攻

1939年11月30日、当時のソ連は突如として西の隣国フィンランドに侵攻してきました。
84年前のこの事件をもちろん見聞きしている人はフィンランドに多く、今回もロシアが手を伸ばして侵攻してくるのではないかと警戒しています。

国際連盟はいつもの様に忠告はしました。(1931年の満州事変の日本に対するのと同様)
そして侵攻をやめないので、独自の武力を持たない連盟はソ連を除名しました。
ソ連側の被害も大きく(約12万人が戦死・行方不明)、翌1940年3月12日、モスクワ講和条約が結ばれ、フィンランドは約10%の領土(産業の中心地とも言われます)をソ連に割譲し、約42万人のそこに住む人々は10日以内にソ連国民となるか、どこかへ立ち去る選択をせまられました。4か月の戦闘でフィンランドは約2万5千人が犠牲となりました。

しかしまたその翌年の1941年6月から継続戦争が行われ、フィンランドは6万人以上の戦死者を出す事になります。(ソ連は26万人以上の戦死・行方不明・捕虜など)
ソ連とフィンランドとの戦いは「冬戦争」とも呼ばれ、フィンランドが善戦したのを見て、ヒトラーは継続戦争より少し早い時期に独ソ戦を決意したとも言われています。(続く)

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