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第22回 常盤御前の子孫

義経は1189年奥州で、正室と4歳の女の子を殺してから自害したとされます。ところでチンギス・ハン伝説が根強くあります。チンギス・ハンの生年は1162年(諸説あり)、義経の1159年とまず近いです。それにチンギス・ハンが活躍しだすのが1190年。そして何と言っても戦術が馬を使うのがウマい!とゾッとするほど似ているので伝説ができたんでしょうね。

さて、母親の常盤御前はどうなったのかというと、義経が逃亡してから娘と共に消息不明となっています。秘かに処刑されたのでしょうか?

常盤御前にはたくさんの子がいました。義経の長兄阿野全成が有名ですが、その娘が一人貴族と結婚して阿野の名を受け継ぎました。その子孫には何と後醍醐天皇の寵妃の阿野廉子がいます。廉子は後村上天皇を産み、その子孫は後南朝と言っていまだに奈良にいらっしゃいます。

また阿野家はずっと続いていて明治になっても子爵となっています。現在でも女性の方が代表していらっしゃいます。歴史の深さを感じますね。

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