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留学をして、帰属意識がからっぽになってしまった話


「大学=通わせてもらっている場所」だと思っていた。

私は立教大学に在籍している。
その中で3年間の休学をして、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるサンタモニカカレッジでジャーナリズムを勉強しているところ。

COVID-19が蔓延するにつれて、もちろんカレッジは休校になった。
3月16日からだっただろうか。

カレッジから「来週から数週間学校はお休みになります」という連絡がきたとき、それは水曜日の夕方であったと思う。

その時私は午前のメディアのクラスを受け終わったところ。
夜の6時45分から始まるジャーナリズムの講義までの数時間を潰すのが億劫で、「もう今日は帰ってしまいたいな」なんて思っていたことを覚えている。

ジャーナリズムの授業が始まるちょっと前に受け取った休校通知のメール。

だるさを覚えていた私にとって正直すこし嬉しいものであり、それと同時に「私があんなこと思ったからだったらどうしよう」なんて、わりと高慢だとも思える罪悪感もすこしあった。

カレッジが閉鎖してからもう7週間、8週間が経った今、彼らは新しい通知を出した。

「夏学期、秋学期も講義はリモートです、学校には来ないでね」と。

今は春学期。本当だったら6月に私の春学期は終わって、カレッジ1年生を無事に終えた喜びとともに、6月半ばから始まる夏のセッションを8月末までとる予定、だったのに。

3月から始まった学校の閉鎖は、現時点で9か月続くことになっていて。
きっとそのあとも伸びるかも。期待はしない。みんなの安全がいちばんだ。

それでも、留学に来ている身として、本当は1分1秒たりとも無駄にしたくないところ。

本当は、家になんていたくない。ロサンゼルス中をたくさん歩いて回りたいし、カフェ巡りだってバー巡りだって再開したい。

ナイトクラブなんて日本では好きではなかったけれど、異性目的で来ることのないロサンゼルスのナイトクラブは、ここ数か月の私にとってとても良い週末の勉強の息抜きだった。

今の私は一体なにに所属しているのだろう。
日本に住んでいないので、日本との縁を感じることが少なくなった。

アジアが発端となったこのウイルスは、人種のるつぼだと言われるロサンゼルスにおいてもアジア人差別を顕著にすることとなった。

ニューヨークでは、アジア人への脅迫やヘイトクライムがたくさん起こっている。私と同じ肌の色を持つ彼らが殴り倒されたという事件も、嫌でもたくさん耳に入ってしまう。

そんな状況の中、アジア人留学生である私が
「私はアメリカに属している」とはとても言い難いだろう。

立教大学は私の家族に請求書を送ってくるだけ。
友人は皆、今年の3月で卒業してしまった。
私は肩書としては立教大学に在学中であるけれども、果たして本当に帰属しているのだろうか。

それにプラスして、カレッジも閉鎖になってしまった。
閉鎖して1週間後、私が足繁く通っていたカレッジの図書館も閉鎖になり、もう私がカレッジを居場所だと思えることも、なくなってしまった。


それでも、サンタモニカカレッジは強い。
少し引いてしまうほど、強い。

私のカレッジは、多すぎるくらいの情報をInstagramで共有する。
生徒が運営している団体だってすべて公式と繋がっていて、新しい情報があればすぐに共有される。

難しい公式のメールを送るのには、時間がかかる。
だからこそ彼らは現代の利器を駆使することで、メールより先に、Instagramで生徒に届けることができる。

私が学校閉鎖の延長を知ったのも最初はInstagramから。
それを知った数時間後に公式の通知がメールできて、すでに概要を知っていたためダメージは少なくて済んだ。

立教大学のInstagramは校内で撮った綺麗な校舎の写真ばかり。
それに対してサンタモニカカレッジは、この状況をどうやってみんなで乗り切っていくかの情報に溢れている。

休校になってから間もなく始まったカレッジのフードキャンペーンは、学校がなくなってしまったために家でご飯を食べることが多くなる生徒のためにつくられたもの。

毎週水曜日のお昼に校内のパーキングロットにて、重すぎてあげることができないほどの量の食糧を大きいエコバックと紙袋にパンパンに詰めて、無料で生徒に配るというものだった。

たくさんの生徒が利用し、地域の雑誌でも取り上げられるほどになった。

最初の週に出てきた「じゃあ車がない生徒はどうすればいいんだ」という意見を驚くほど迅速に反映して、次の週からは公共交通機関を使う生徒のための措置もとられていた。

カレッジでヘルシーな食事を提供しているフードサービスは、6週間ほど前からカレッジの生徒の家まですでに調理された栄養たっぷりの食事を段ボールにいっぱい詰めて、毎週生徒の自宅まですべて無料で届けてくれるようになった。

もしかしたら、このような措置は当たり前なのかもしれない。
だって生徒はカレッジにたくさんのお金を払って通っているんだから。

もしかしたら、このような措置は当たり前なのかもしれない。
生徒がいなければ学校は成り立たないんだから。
それならば、一緒に頑張っていくしかない。

私はとても恵まれている。

東京でも有名な方に位置する大学に通えて、
 それを辞めることなく並行しながら、カリフォルニアで名の知れたカレッジにも在籍できている。

私はとても恵まれている。だから、感謝しないとと思ってしまう。
ありがとう。私に教育の場を与えてくれて。
ありがとう。私に立派な肩書を与えてくれて。

私は感謝しなければいけない。

だけれども、「感謝しなければいけない」というプレッシャーに押しつぶされてしまってはいないだろうか。

私は感謝しなければいけない。

もうこの感謝は、義務なのかもしれない。

それでも、どうしても立教大学とカレッジを比べてしまう。

毎年払う学費は同じくらいのはずなのに、もしも私が休学せずに今も日本で立教大学に通っていたならば、彼らは私たちに無料で大量の食事を提供してくれただろうか。

連絡事項だけではなく、励ましのメールを毎日のようにくれただろうか。
教授は全員、個人的に温かいメッセージをくれただろうか。

こんな状況の中日本の大学に通ったことがないゆえに、本当のところはわからないけれど。

私は感謝しなければいけない。

それなのに、立教大学に対して、愛校心を感じたことはあっただろうか。
「こんないい大学の生徒で良かった」と、感謝したことはあっただろうか。
「気にかけてくれてありがとう」と思ったことは、あっただろうか。


私がこんなことを思い始めたのは、立教大学から来たたったひとつのメールがきっかけで。

「家でオンライン講義を受けることが難しい人のために、7月まで9000円でパソコンを貸してもいいですよ」というメール。

別に大したことはないだろう。
たった9000円で、スペックのよさげなパソコンを借りることができるだけありがたいと思わないといけないのかもしれない。

私がケチなだけなのかもしれない。

100万円を超える学費を毎年払って、講義はオンライン。学校の設備は使えない。
オンラインでしか講義を受ける選択肢がない今の世の中なのだから、大学側がその環境を整えるために、パソコンのレンタルくらい負担しても良くないかな、なんて。

だって、家にこもって自分の家で自分のパソコンに向かっている私たちの学費って、なにに使われているのかよくわからないから。

もし私が留学していなければ、なにも疑問に思わなかったのだろうか。

「生徒をいちばんに」と掲げているのは、日本の大学だってアメリカの大学だって同じであると思う。

だって、「大学の利益がいちばんです」なんて掲げて、それに向かって生徒が集まるわけがない。

でもだからこそ、このような事態になって初めて、各大学や各国によって「利用者」に対する扱いは雲泥の差なのだとわかる。

もしかしたら、私が考えすぎているだけなのかも。

留学をして、色々なことに疑問を持ち始めすぎてしまったのかもしれない。

でももしかしたら、もしかしたらだけれど、いままで色々な組織や大学が大きな口で誤魔化してきた本当のところが、顕著になっただけなのかも。

このような非常事態は、誰も予測ができなかったしこれからの状況の予測も難しい。

だからこそ、だれがどのくらい、またはどの国がどのように、どれだけリスク管理をしてきたのかがわかりやすい、いい機会でもある。

私は立教大学の学生として本当に誇り高い。
大好きな英米文学を学んで、たくさんの知見が広がった。
どこにも負けないと胸を張って言えるような美しいキャンパスで勉強ができることをとても嬉しく思うし、感謝している。


それでも「生徒に寄り添う」という面で考えると、3年通った立教大学よりも、通って8か月で閉鎖になってしまったサンタモニカカレッジに、愛校心と帰属意識を覚えずにはいられない。

日本にも、アメリカにも、立教大学にさえも属していないと感じてしまう日々である。

そんな中、すこし鬱陶しいくらい生徒に関わりあってくるカレッジに通えているという事実は、私の留学生活、またはロックダウン生活の中の、心のよりどころとなっていると言っていいのかもしれない。


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