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西武新宿線武蔵関駅


僕が上京するにあたり選んだ場所は練馬の武蔵関だった。
吉祥寺まで自転車で15分、西武新宿線武蔵関駅まで徒歩10分、6畳一間のマンションに僕は引っ越した。不動産屋に行って「家賃4万以下がいいです」というと、4件出してくれた。氷川台、赤塚、それに武蔵関が二件だ。内見もこの順番だった。
氷川台のアパートの外観を見た時、僕は唖然とした。民家の隙間に合わせてぎゅうぎゅうに詰め込まれたオンボロのアパートで、廊下も昭和の学生寮みたいに細く、薄かった。中も案の定暗くて狭く、窓を開けると隣の民家の壁が目の前にあった。「ここはナシ」と三秒で思った。
赤塚の方は二階のロフト部屋だった。氷川台よりマシだったが、5.5畳のロフトというのは思ったよりも窮屈だった。おまけに事故物件だった。

 武蔵関は結構人気なんですよ、と運転の姉さんが言った。僕はへえそうなんですね、と言いながら、「この分だと多分似たようなのがくるんだろうな。家賃4万というのがそもそも無茶なんだ」と思っていた。しかしもう後が無かったので、武蔵関へ向かう道中の景色を眺めながら、なんとなく落ち着いて良いところっぽいな、と思うことにした。実際、氷川台や赤塚よりかは公園とか小学校が多くて暖かい気がしたのだ。そう思わなければやっていけそうになかった。

 最後の物件は4階建てのマンションで、部屋も4階だった。これまで見た3つに比べてしっかりした外観で、自転車置き場も広く、期待は高まった。中に入ると4階からの景色が目に入った。なんてことないコインパーキングやマンション、横断歩道、コンビニというただの東京の住宅街の眺めだったが、僕はそれだけでここだ、と決めた。太陽の光が部屋に差し込んできて、ベランダから景色を眺めれるというのは素晴らしいんだ、と思った。

 実際、武蔵関は交通アクセスが悪かった。急行が止まらないのでわざわざ上石神井(一駅)で乗り換えなきゃならんし、高田馬場までの満員電車は乗車率が150パーセント(体感)くらいあると思う。埼玉から乗ってきた人が席を占領しているのだ。それに定刻に来ないし、途中で止まる。高確率で酔っ払いもしくは狂人が線路を横断するか、駅のホームで騒ぎを起こし駅員が対応することで遅延が起こるのだ。

 西武新宿線は帰りもひどい。高田馬場のホームは山手線と東西線と西武線が通るわりに狭い。山の手線と東西線はまだいいが、夕方の西武新宿線のホームなどパンク状態である。ホームの通路で身動きが取れなくなり、定刻に来た電車も目の前でスルーする始末。まあこれに関してはスルーが懸命だ。ギリギリ滑り込みの満員電車で窒息死する(誇張じゃない場合が本当にあるのだ。怖い話だが)くらいなら、一本二本見送って中央の通路の吊皮ゾーンに身を落ち着ける方が断然いい(見送ってもなお椅子に座ることはできない。始発の新宿勢がすでに陣とっている)。

 そう、武蔵関から都心に通勤するにはこの西武新宿線の通勤を免れないのだ。住む前の僕は電車なんてどこも一緒だろと不動産屋の話を聞かなかった。今なら絶対に他の線を使う。つまり、他の場所に住む。

 武蔵関の悪いところはまだある。青梅街道に近い場所では夜中の消防車のサイレンや道路工事のドリル音が尽きない。これは窓一枚では到底防ぎようがない。住んで数週間は本気で引っ越しを考えるほど睡眠に苦しんだ。それでも「家賃を提示したのはこっちじゃないか。ここに住むのも僕がアルバイトだからいけないんだ」と思うと、どうでもいいというか、どうしようもないというか、やり場のない思いに駆られることになって、耐えることにした。

 武蔵関の一番いいところは、吉祥寺に自転車で15分あれば行けることだろう。吉祥寺に住むには4万じゃ効かない。でも自転車で15分なら全然良い。土日になるととりあえず吉祥寺にいけば何かある、ということでよく行ったものだ。武蔵関自体が特別良いわけじゃなく、吉祥寺にまあまあ近いというので住んでいる人は多そうだ。

 スーパーは結構充実していたが、そもそも東京なら大抵これくらいは揃っているのかもしれない。自然豊かでもなく、閑静な住宅街というわけでもなく(駅周辺なら静か)、駅周辺にはドラッグストアとスーパーがあるだけ。そう、武蔵関とは普通の街なのだ。60点、というところだろう。

 ただ一年近くも住めば、ここが自分の街、と感じてくるのが面白い。長旅から帰ってきたときなんか特に、実家のように落ち着くのである。家賃を第一に置く人ならどこだって住める。4万で武蔵関よりいい場所も悪い場所もあるだろう。でも最終的にみんな慣れてしまうんだろう、と僕は初めての一人暮らしで思った。例えば友人の一人が港区の9万、1Kの部屋に住んでいるが、僕がそこに住んでいたって毎日することは変わらないし、逆にもっと不便で質素な家に憧れたりもしそうなものだ。

武蔵関を下宿の候補に入れている人は、まずその物件から都心までの往復を体感してみるといい。それが1番ネックで、あとは青梅街道通りに済まなければ悪い街じゃない。


2075文字 70分


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