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サガン「優しい関係」を読んで

少し前に同作家「ブラームスはお好き」を読んで、この作家は信頼できる、という記事を書いた。その時の満足感があってか、ブックオフでこの薄いピンクの背表紙を見た時につい衝動で買ってしまった。一人の作家のファンになるというのは、1冊目でまたこの人の文章を読みたい、と思わされているということ。今回の「優しい関係」は、僕がサガンを「好きな作家」にランクインさせる決め手となった。

まず、サガンの本は極めて普遍的である。これが、読者が帰ってくるポイントだと思う。「ブラームスはお好き」と「悲しみよ こんにちは」を先に読んで「ほとんど同じ話じゃないか・・・」とは僕も思った。しかしまた読みたくなるのである。なぜなら肩の力を入れずに済むから。どうせ一人の女性と二人の男性、またその逆のどちらかなのだから。あと、どの本もせいぜい100ページほどというのもファンをつなぎとめておくコツだと思う。文体は結構しつこいタイプだが、これくらいの量ならまだ耐えられる。


僕はこの本を読んでフランス人はどうしてこう、何を言っても可笑しく聞こえるのだろうと思った。何度も思った。これはフランス人全員が持つユーモアなのか、サガンがあまりにもひね曲がっているのか、それともサガンは本当は普通の人なんだけど、ちょっと変わった作家ぶってやるか、という技術によるものなのか。サガンの本を読むと異様に疲れるのは、内容以外にもこうやって作家の人間性を疑ってしまうからだと思う。前にも書いたが、サガンはどうやって人付き合いをしていたのかが気になって仕方ない。だって、サガンが本で書いてあることを日常会話にしたら普通にしんどくなるはずなのだ。この人は話してて疲れるからもう当分合わなくていいや、とか、そういうことを相手に思わせる力をサガンは持っている。そしてそれは作家になる以外のどの職業でも、デメリットにしかならないだろう。そういうところが総じて好印象。


「フランス人が」と書いたのは、これを読んでいる間「異邦人」がずっとちらついていたからだ。僕は初めて異邦人を読んだ時、こんなに面白い小説を人が書いたのか、と思った。どれだけ面白い本を読んでも「異邦人ほどゾクゾクはしなかったな・・・」と比べるようになった。そして「優しい関係」を読み始めて数ページで「この感覚は異邦人の時のやつだ・・・」と思ったのである。

その理由が、どこの文章を切り取ってもふざけてるようにしか見えないのだ。これを感じさせれば作家は勝ったようなものだ。全体の話なんかどうでもいい、ただこの作家は次の文章でどんなヘンテコなことを言うんだろう、という毎秒の期待が絶えないのである。そしてカミュもサガンもフランス人。

僕はカミュの本を「異邦人」しか読んだことがない。なぜなら「異邦人」より面白い本をもう一度書けるとは思わないからである。次に読んだ本がハードルを越えられないのが怖いのだ。で、このサガン「優しい関係」を読んで同じことを思った。

次のサガンの本を読みたい気持ちはあるが、「優しい関係」よりも面白くないとがっかりするだろうから、またしばらくは読みたくない。



1284文字  35分17秒


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