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心の青あざ サガン


サガンをデビュー作から順番に読んでいるところだ。現在10冊目。
「心の青あざ」を読みはじめて、あれ?なんか変わった? と思った。違和感がある。
原因は、サガンの独白が小説と交互に出てくる点にある。主人公はスウェーデンの男女の兄弟だが、時々サガンが彼らを解説する。
いわゆるメタである。僕は最初、この作風が嫌だった。いつものサガン的女性をヒロインにしたパリの倦怠生活を期待していたから。

そう、これがサガンの魅力だ。1冊目から8冊目まで、サガンはほぼ同じテーマで書き続けてきた。村上春樹は3冊目羊で路線変更、4冊目「ハードボイルド」で挑戦、ノルウェイの森では自分自身、ねじまき鳥では歴史を、という風に変化した。ビートルズだってラバーソールでメランコリックを、ジョージはシタールを、ホワイトアルバムではジャケットに斬新さを、と変化した。

でもサガンはデビューから10年経っても、何も変わらない。これは作家として異常である。例えばもっと長い小説をとか、文章を情景メインにとか、いろいろあるだろう。「優しい関係」のみ殺人というテーマがあったが、まあ、サガンである。

しかしこの9冊目「心の青あざ」で、ついに変えてきた。小説とエッセイを混ぜるというやり方で。
僕は作家の変化に対してはいつも肯定的だが、サガンだけは「ずっと同じでいい」と心から思っていたようだ。スウェーデン人なんかいらない。パリジャンじゃないと嫌だ、と。

でも26ページを読んだ時、一気にこの本が好きになった。サガンが情景描写を小説をバカにするところで、お?と思った。レストランのメニュー、カーテンの色、服の形、誰かの顔、こういうのをいちいち描写するのは、つまらないとサガンは言うのだ。これには村上春樹やヘミングウェイ、谷崎潤一郎など、というかほとんど小説家が含まれている。サガンはそれらを一斉に批判した。僕はそれでまたサガンを好きになった。また中盤でも「共感を生むのは常識ではなく感情」と断言している。サガンは心理描写を書きまくることが、他の作家との差別化になることに気付いていたのだ。事実、最近僕はサガン以外の本を読む時、ちょっと退屈に感じる。

サガンの性格が僕の日常に影響しなければ良いけど……

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