小説『ある予備校生の四季』

また短い小説を書いてみました。春夏秋冬に分かれ、全部5分ほどで読み切れると思います。お読みいただけると嬉しいです。


「ある予備校生の四季」

高校を卒業し、春の訪れとともに大学受験に失敗した僕を迎えたのは、ある大手の予備校だった。『第一志望はゆずれない!』がキャッチフレーズだ。

集まる生徒もどこか精彩を欠き、あるものはこの世の終わりみたいな顔をし、あるものは、から元気を身にまとい、僕もそんな中の一人だったと思う。

唯一共通していたことは、今年こそ勉強をして志望の大学に入るという決意めいたものだ。

さて、初めての教室で講師の先生の説明を聴きながら、なんとなくボーっとしていた時、前の方の座席の女の子がふと振り向いた。

それは細身で眼鏡をかけた、長い栗色の髪の毛をしている色素の薄い感じの女の子だった。美人とは少し違う、でも育ちの良さを感じた。

目が合いしばらく見つめ合った後、また前を向いたその子は、その後しきりに髪の毛をさわって整えたりしながらも、落ち着かない様子だったことを覚えている。

お昼の時間、買ってきたおにぎりを食べ終わって、僕は持ってきた文庫本を一人読んでいた。

さっそく仲の良くなった女子同士が自己紹介がてらおしゃべりに興じている。すぐに友達を作って仲良くなるのは女子だなぁと思う。なんとなく耳に入った情報だと、さっきの子はどこかの女子校を卒業したらしい。名前は小林由香。

さて、予備校で僕が入ったコースは東工大を目指すコースで、数学などの理系科目は東大進学コースと同じテキストを使っている。

僕は難しいコースにいれば、どんどん偏差値も上がり余裕で大学に入れると思ったが、本来数学が苦手で先ほどの授業など、最初から置いてきぼりを食らいそうな気配を濃厚に感じていた。

僕の予備校生活はこうして始まった。


夏休み中の予備校生の模試の会場は郊外にある私立大学の教室を借りて行う。

その会場に向かう道をセミの鳴く声とうだるような暑さの中歩いていた僕は、一人前を歩く彼女を見かけた。

白い半袖のブラウスに水色の長い巻きスカートをはいて、涼しげにいる。彼女も同じ志望大学を目指しているのだろうか?理系女子とはまた珍しいと思う。どちらかといえば、今ごろ華やかな文系学部でキャンパスライフを送っているのが似つかわしい気がした。

声を掛けようかとさんざん迷った後、僕はただ歩いて後ろをついていくことにした。たぶんこの距離は予備校生としてずっと縮まらないのだろうと予感めいたものが浮かんだ。ただ一言声を掛ければいいだけなのに、それが出来ない。

模試の出来は芳しくなかった。とくに数学、物理、化学が足を引っ張る。いっそのこと文系に志望を変えればいいのだが、僕は理系にこだわっていた。なによりもそっちの方が面白そうではないか。

予備校で出来た少し変わった男の友人と一緒に、僕は模試会場を後にした。

「今日の模試どうだった?」
「僕はうん、まあまあかな」
「そういえば女子で小林由香さんているだろ?」
「ああ、いるな。彼女がどうした?」
「何でも本当にお嬢様らしいぜ、それに今まで何人か告白してフラれたみたいだ」
「そうか、誰か好きな人でもいるのかな?」
「どうかな、案外お前だったりして」そう言って彼はにやっと笑った。

もしそうなら、どんなに嬉しいだろう。でも僕は彼女に声を掛ける事も出来ないのだ。もし大学生だったらまた違ったのだろうか?

夏に開催される花火大会やお祭りを素直に楽しめないのが、大学浪人生と言うものだろうと思う。それが少し悔しかった。



いよいよ秋になって、予備校に通う誰もが今年度の受験を強く意識するようになってきた。

周りを見ると基本的に志望は国立大学であり、理数系は得意だが国語が壊滅的というのが典型的だ。

僕はむしろ英語、国語、倫理は得意で、理科は生物だけは自信がある。逆に言えば本来得意でなければならない、数学、物理、化学は苦手のままという事だ。

「いったいこの半年間で何を学んだのだろう?」
と我ながら独り言が出た。

予備校には自習室と言うものがあり、空き時間や授業が終わった後に勉強スペースとして提供されている建物がある。

それはそんな初秋の事だった。

授業も早く終わり、自習室で苦手な数学の勉強をする事にした僕は、学生カードを機械に通して建物に入った後、空いている席に座って参考書を広げた。部屋は半分ほどの席が埋まっているものの、わりとガラガラだった。

しばらくして、前の空いていた席に人の気配がして顔をあげてみると、彼女が座っていた。何かに挑むようにして背筋を伸ばし、問題集を解いている。たまに落ち着かない様子で、髪留めに手を伸ばして何かを確認すると、また問題を解く。

もし声を掛けるとしたなら絶好のタイミングだ。
でも僕はそうできなかった。

1時間くらいが経っただろうか。僕はにらんでいた参考書を放り出し、帰ることにした。彼女の机のわきを通った時に、「フッ」とため息の音が 聴こえたような気がした。

後日その様子を見ていた友達がいたのだろうか。
「彼女が可哀そうだ」という会話が教室で聴こえてきたが、はたして僕と関係があるのかは本当の所分からなかった。



その年のセンター試験はそんなに難しくは無かった。しかし国立の2次試験は全く受かる気がしなかったのも事実だ。

「僕は文系の人間なんだなぁ。そうだ志望校を変えよう。滑り止めなんて言っていられない」

さいわい私立大学の農学部なら受かる自信があった。僕は農大の農学部を受験し、無事に受かることができた。春からは大学生だ。

この1年はいったい何だったのだろうか?予備校主催の修了生の集まりには参加しないことにした。それは、小林由香さんともう2度と会えないだろうという事を意味していた。

こうして僕の大学浪人時代は一抹の寂しさと共に終わったのである。


10年後

地元の国立大学でHSKという中国語の資格検定試験が開催され、僕も受けることにした。季節は12月でコートを羽織るくらいがちょうどいい。

そして試験会場の隣の席には驚くことに見覚えのある女性が座っていた。まちがいない彼女だ!少しも変わっていない。こんな偶然があるだろうか。

「あの、試験が終わったら少しいいですか?」おそるおそる訊いてみる。
「はい、1階の休憩所で待っています」

試験後に退席して1階の休憩所に行くと、彼女が待っていた。10年前の以前とは違いラフな格好でスニーカーの靴ひもを結んでいる。

「僕はずっと前、あなたの事が好きだったんですよ」思わず言葉が口をついて出た。
彼女は少し照れたように笑うと、こう答えた。
「はい、私もです」

(終わり)


最後までお読みいただいてありがとうございます。恋愛小説のようなものはやはり上手く書けないなと自分でも思いながら、書いていました。自分自身の予備校に通っていた時の記憶をもとに書きました。恋してたけど、奥手すぎて何も進展が無かったのは、果たして良かったのか悪かったのか。今でも謎です。

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