見出し画像

ソビエト崩壊からロシアへ エリツィンの時代とチェチェン


さて、前回はソビエト崩壊のプロセスを書きましたが、これはほぼアウトラインとしては正解だとおもっています
しかし、謎なのはソビエト崩壊後、独立できた国と独立できなかった国という課題です

元々、ゴルバチョフは地方自治体、いわゆる共和国の権限を大きくしようと考えていました、これが原因で保守派のクーデターが起き、エリツィンが実験を握る訳ですがこの時独立した国を見ると3つのパターンがあります

1 元々、独立志向が高った国
バルト3国、ジョージア、アゼルバイジャン
バルト3国はゴルバチョフ時代から独立を巡って騒動を起こしてました
ジョージアも独立志向が高く独立へと向かいます

2 ロシアから見捨てられた国
これは中央アジアのカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスなどが当てはまると思います
民族的に違いすぎるのと既にロシアのお荷物になっていた事が伺えます

3 よく解らないで独立した国
問題は個々なんですね、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、アルメニア、あたりです
ウクライナとベラルーシは土壇場でエリツィンとの会談で独立を決めてます

まあ、ざっくりと分類した訳ですが、この当たり、早いものがち、ロシアに不要とされた国という2つの色分けがある程度できます

ところが、ここで謎が出てきます、何故、チェチェンが独立できなかったのか?という事です、色々と説明されているサイトでもチェチェンにはアゼルバイジャンからのパイプラインがあるからとしか書いてありません
パイプラインは引き直せば良いだけです、にもかかわらずロシアはめんどくさいチェチェンの独立を認めなかった訳です

これを分析するとチェチェンの微妙な立場が解ってきます

エリツィン政権でもウクライナとベラルーシは直接対話で独立します
しかし、チェチェンに対しては武力での制圧を決めます
これは、G8でも問題になり、クリントンアメリカ大統領はエリツィンをこの件で攻めます

ただ、これに関してはロシアをG8に入れた米国の政治判断ミスという側面も見えます



よろしければ、投げ銭をお願いします