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武重謙 ヒグマ猟記7「糞を大量に発見する」後編

猟期に入る頃、家族で動物園に行く機会があった。旭山動物園という北海道でも有名な動物園である。そこにはヒグマもいた。娘のために行った動物園ではあったが、とにかくわたしはヒグマの前に張り付いていつまでも見ていた。狙うならどこか? 心臓はどこだろうか? 肺はどこだろうか? などとイメージを湧かせていた。頭を撃っても、よっぽど良いところに当たらない限り固い頭蓋骨に弾かれると言われている。肩のあたりも肉や骨が厚く不安がある。前脚の付け根、やや後ろがいいと聞く……。心の中でスコープの十字を思い描いて、引き金を絞る。

そのヒグマは “とんこ” と呼ばれていた。とんこはなにをするでもなく、右を見て、左を見て、右を見て、左を見て、キョロキョロとしていた。おかげで正面、左右と、いろんな角度から観察することができた。ストレスなどで同じ行動を繰り返す現象を常同行動と呼ぶが、恐らくそれだろう。

旭山動物園のとんこ。
ヒグマの目には、不思議な魅力がある

「クマさん、なんでここにいるの?」

娘はわたしがヒグマに関する本を日夜読んでいるのを見ている。父親の気を惹こうとしているのか、娘もクマに興味があるそぶりを見せていた。

「なんでだろうね」

ヒグマはその辺で簡単に捕まえられるものではない。気になって情報を探してみると、檻に張り紙があった。そこにはとんこが動物園に辿り着いたいきさつが書かれていた。

曰く、中頓別という町に出てきたヒグマがいた、と。そのヒグマは駆除されたが、そのヒグマには子どもがいた。それがとんこだったらしい。そのとんこをどうするか検討した末、旭山動物園で保護することになったらしい。犬や猫と違い、ヒグマは簡単に保護できるものではない。恐らくこういったケースで保護される子グマは多くないだろうと思う。奇跡的な確率で保護されたと言える。

「クマのお母ちゃん、死んだの?」
「そうみたい」
「なんで死んだの?」
「町に出てきて、人を襲うかもしれないから殺されたらしいよ」
「なんで町に出てくるの?」
「おいしいものがあると思ったかな?」
「アイスクリームとか?」
「そうかもね」
「ふーん」

まだ死の概念がわかってないのか、娘はなにも感情の動きを見せることもなかった。もうヒグマへの興味も薄れたらしく、次の動物を見に行きたがっていた。

「もうちょっとクマを見ようよ」
「ずっと同じなんだもん」

とんこの半生を見て、かわいそうだな、と思ったのは事実だった。同時に自分がとんこのお母さんを獲る側でもあることを気にせずにはいられなかった。狙って親子グマを獲るわけではないが、獲ってみたら親子だったということは起こり得るだろう。そうなったとき、とんこのお母さんを殺めるのは自分だ。
とんこと目が合った。
なにかを問われている気はしたが、それがなんなのかはわからなかった。
もう次の動物に会いに歩く娘の背中を追いかけた。
クマの目には力があった。

Profile
武重 謙(たけしげ・けん)
1982年、千葉県出身。自営業。システムエンジニアを8年勤めたあと退職。海外を2年間放浪後に神奈川県箱根町に宿泊施設を開業し、その傍らで狩猟を始める。2019年に北海道稚内市へ移住し、宿泊施設「稚内ゲストハウス モシリパ」をリニューアル開業。単独で大物を狙う忍び猟を好む。小説の執筆も行い、池内祥三文学奨励賞(2012年)を受賞。著書に『山のクジラを獲りたくて――単独忍び猟記』(山と溪谷社)がある
ブログ「山のクジラを獲りたくて」https://yamanokujira.com/
ツイッター @yamakuji_jp

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