眼帯フェチを卒業しよう
フェティシズムとは、モノへの愛情であることを踏まえれば、僕にとってフェチと言えるのは「眼帯(美少女)」くらいなものだ。長らくお読みの方であれば、数ヶ月に一度の単位で語っているのも御記憶かもしれない。
令和でも、と銘打ったのは、既にあの時には、時代錯誤な嗜好であることを悟っていたからか――――――。
この多様性の時代にあっては、フェチであっても人様に迷惑をかけない範疇であればきっと許容されることと思われる。
だがしかし、今宵は眼帯フェチの、それも特に僕にとっての祝福があり、かつ、呪いが見えた。すなわち、二次元を主体として愛でられてきた嗜好ではあったが、ついに現実世界でほぼ完璧な姿が登場したこと。その結果として、眼帯フェチは消え去らねばならないことを悟った事をお話しようと思う。
アーティストの「ano」(あのちゃん)が、TVでの様子をXに投稿した。眼帯には一切触れず(※番組内では言及があった模様)に、クイズに挑戦する彼女の姿がそこにはあった。
制服、黒髪(青髪)ショートボブ、色白でミステリアス。
そして、眼帯。あまりにも属性として完成されたその姿。綾波レイ、見崎鳴、小鳥遊六花。三大眼帯美少女に勝るとも劣らない。
しかも、番組内のコスプレなどではなく、あくまでも医療目的。
僕は医療用の眼帯、とりわけ紐で着けるタイプを好んでいたが(※理由については、上記のnoteにて)、なるほど三次元では紐は無い方がすっきりしていて、見え映えが良い。あるいは、彼女の髪型補正かもしれないが。
とにもかくにも、今後は貼るタイプにも一層着目していこう…………そう当初は考えていた。
だが、こうして二次元ではなく三次元として理想形が登場したことで、これまで以上に、眼帯フェチの持つ、難しさを意識させられた。
それは、他の趣味と違って、本来は愛でるべきものではない、という点だ。ともすれば悪趣味であり、非人道的ですらある。
ファッションではなく、治療のためにやむなく付けたその眼帯を、美しいなどとぬかす輩なのだから。
現実では、サディズムと何ら変わらない。
そう自覚したとき、あのちゃんのその姿を最後に、眼帯への夢から覚める時が来たことを受け止めた。
気質をやめる、などということは無理難題だが、フェティシズムは人間の学習に基づくものであって、感性一辺倒というわけではないと思われる。
他者への愛と違って、眼帯という物を知り、そこに美を見出す過程を経たからこそ、抱いている感情であって、自然と発露するようなものではないからだ。
であれば、矛先を変えていくことも無理ではない。
つまり、今回の邂逅は、最後の審判のようなものであり、回心したからこそ、愛でてはならないものを愛でるという煉獄に陥らずに済む。
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