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間もなくプラネタリウム100周年

 先日、ガチャガチャでプラネタリウムのミニチュアを買ったのですが、そこから知った話を展開していきたいと思います。といっても、僕が出たのは日本で初めて登場したプラネタリウムだったのですが。

 1923年10月21日、ドイツ博物館でカールツァイス社制作の光学式プラネタリウムがイエナで試験公開され、それを「イエナの驚異」と絶賛したようです。今年はイエナの驚異、すなわちプラネタリウム誕生から100周年であるようです。

 僕にとってはプラネタリウムと言えば幼い頃、家族や学校の遠足で行った思い出があり、落ち着いた雰囲気が好きです。正直、もっといろんな場所で、いろんな上演をしてくれれば良いのにと思っているくらい。
 そんなプラネタリウムには、もう一つ、印象があります。Key作品の「プラネタリアン」です。僕はアニメで知りました。

 Key作品では一番好きなのは「Kanon」だと時折noteでも書いているが、実はこの作品も大好き。そもそも終末ものが好きなのだが、そこにアンドロイドと出会いと別れがあるとなると、もう個人的にドンピシャ。
 後者の設定の代表作でもある小説『初音ミクの消失』が好きな人にはオススメ。
 ちなみに「プラネタリアン」では「星の舟」という曲が一番好き。

かつてその名を星と呼ばれていた 暗闇を照らす道しるべ

一部歌詞

 メタバースが人類の未来として脚光を浴びる現代に、プラネタリウムのみせる美しさと、幻影でしかない儚さとを向き合うことは、決して無駄ではない。
 視力が悪くなって僕が一番不便だと感じるのは、星空がよく見えないことだと、常々感じているけれど、それを助けてくれるのは、あのでかでかとした大掛かりな装置とスクリプトを読み上げ、星空へと導いてくれる誰か。

 余談かもしれないが、設定上、この「シュウスイちゃん」は本来あってはならない。オリジナルキャラとして生きる彼女は、こうして三人(三体)もそろうのはあり得ないはずだから。これは当初、「フィギュア」という設定で「推し短歌」というnoteのイベント用に作ったものです。作歌していないので、未公開状態。
 しかし、ここにアンドロイドやテクノロジーへの儚さを感じるならば、あえて公開することにします。
 アンドロイドも、あるいは星も、名を付けられて初めて、「観測」という意味で生を受ける。そういうニュアンスの哲学もありますが、ここでは文字通りの解釈で結構です。

 類似した記号・輝きを、シュウスイちゃんや星座として意味を見出すことで、まったく異なった「文化」、文芸に化すわけです。
 この先もう百年、プラネタリウムが存続しているか、僕にはわかりません。でも、できれば残っていてほしい。
 生きる上では星々の輝きを、オリオンという異教や獅子に譬えるなんて、何の効能ももはや無いし、北極星が分かったとて、遭難の際に役立たせるかも分からないけれども、地上と宇宙とを繋ぐものは、プラネタリウムこそ、かかせないモノだと僕は思う。

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