拝啓、綾波レイ様。お誕生日おめでとうございます。
3月30日、それは綾波レイの誕生日である。そのことに気が付いた昨晩、僕は彼女の曲を流し、月を見上げたもした。
「綾波レイ」というワードで僕のnote記事を検索(from:@syusui_221b 綾波レイ)したところ、なんと約30件と記載されていた。
勿論、中には少ししか触れていないものもあるだろうが、たとえば以下の記事などは、ありがたいことに、ご好評をいただけている。
この日は、ある意味では信者にとっての救世主の生誕の如き感慨がある。
依り代として人形が、いつも安置されているケースの御扉が開けられる。彼女のフィギュア型オルゴールの音色を耳にしながら、聖典として『REI』を黙読する朝。綾波主義者における祝福の日の朝。
件の約30件のいずれかの記事でも言及したが、僕は同じキャラクターのグッズを何個も買うことが無い。
一等、敬愛しているレイであればこそ、このように(あくまでも形態を変えて)複数のモノがある。
僕の二次元ヒロインへの好みは完全に彼女の影響がありありと感じられる。それ故にレイは“推し”ではない。僕の中での原初の記憶であり、上位存在なのである。
そんな憧れと愛情の対象であるレイを“祝う”という行為は、ともすれば手の届かない高みにある彼女を身近に感じるための儀式でもあるわけだ。
あるいは、四六時中考えている訳ではない日常の中で、こうして生誕を祝うことを通して、改めて信仰を深めるかのような効果もあるだろう。
彼女はいつまでも心には残る。だが、彼女自身がいつまでも文明に残り続けるとは限らない。一時代を築いた作品のヒロインの一人ではあるが、言い換えればそれ以上でもない。
彼女が永遠不滅のギリシア神話の女神のように幾星霜が経とうとも、今のようにたたずんでいられるかは、それを祀るこちら側の態度にかかっている。僕らが片時でも忘れたとき、綾波レイはそっと僕らのもとを去ってしまう。それがサブカルチャーでもあり、情報・コンテンツ過多の現代の宿命でもある。
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