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忽那の雫第321話 松山観光港は竜宮城だった?!

ちょっと古い話をしよう^ - ^

ワタシは松山の海の玄関口にある松山観光港の近くで生まれ育った。

海が近いので、子供の頃から自然に釣りをするようになり、16才でバイク移動ができ出してからは行動範囲が一気に広がり、どこまででも釣りに行くようになりました。

71話には、この生まれ育った松山観光港あたりの危ないエピソードを紹介しましたが、実はここ、振り返れば最強の釣り場だったことがわかる。

古いアルバムをめくると、オヤジと観光港を背景に写ったものが何枚かある。

まだ舗装されていない道がだいぶ残ってる時代、ウチの親父さんはこの地で油屋をしていた。

船の燃料だが、それを近くの漁港に浮かべてある漁船まで配達していたのを手伝った記憶があるのだ。

そして親父自身も、魚船で忽那諸島周辺に出て鯛釣りをしていた。

62話で、親父が釣っていた鯛の宝庫について書いた。
芋子だ(^。^)

写真の背景にはスクモが写っている。
忽那の雫第285話^ - ^

親父はワタシによく言った。
目の前に最高の釣り場があるのに、なぜ遠くまで行くのかと。←答えに困るやつ( ・∇・)

ワタシが居た高浜5丁目あたりはこんなふう

目の前にある観光港の桟橋は、Aのエル字型と、Bの真っ直ぐ沖にでたタイプがある。

この、小型フェリーや水中翼船などが出入りしまくる辺りが、竜宮城なみに魚がいるのだ!←見たのか?

いや、潜って見たわけじゃないが、潜った人も居る。^ - ^

そして釣ったのは何度も目撃したし、潜って突いた獲物も見た。
まずはAのエル字型の桟橋の先で、なんと投げ釣りをしてた人がイシダイの70センチオーバーを釣り上げた(°▽°)

ワタシは投げ釣りをするので、投げ竿で70センチを超すイシダイを上げることの難易度がわかる。(°▽°)

そして、桟橋の中ほどに居たヒラメを潜って突いた人は、釣った魚のように魚拓をとり自分の店に飾っていた。^o^

そしてこれはまだ最近の話しなのだが、4丁目の波止で釣りをしていたワタシの次男がAの桟橋付け根で竿を曲げてる人を発見し、取り込んだ魚が白い腹をしていて気になったので見に行ったらしい。^ - ^

90オーバー実際のモノ

するとこのヒラメだったらしい^ - ^
この桟橋の付け根付近では、以前にもワタシの釣友が、アジを泳がせてモイカのデカいやつを何杯も釣っている。

コレはイメージだが、次男がどこかで釣ったもの

こんなヤツが観光港周辺にいるのだ。^ - ^

親父の話によれば、Aの桟橋の角付近はカレイの千枚敷きだという。
凄い数のカレイが重なるくらい居るというのだ。

昔オヤジは、ワタシが釣って帰ったヒラメをカレイと呼んでいたので、ヒラメがたくさん居るのかもしれない。
地元ではヒラメを大口カレイと呼ぶ人が多い。^o^

実際のモノ

ワタシもヒラメを釣ろうと、ゼンゴを泳がせた時期があった。
実際に何枚も釣ったが、初めて釣ったヒラメは尻尾が欠損していたので忘れない。

60センチチョイくらい^o^

さらに岸壁のきわに建て網を入れた不届きな漁師が、水深1〜2メートルのとこで真鯛の80センチ級を回収したのを大勢が見た。←ふとどきなのはアンタもだろ!( ̄▽ ̄)

ワタシの弟は、桟橋の先で生き餌を引っ張っていて、デッカいサワラを釣ったし、ワタシは投げていて70センチくらいのハマチを掛けたが、過去1引いた。^ - ^

ワタシが投げで釣ったハマチは、コウジに食ってきたし、投げて70センチのイシダイを釣った人もコウジだったという。^ - ^

はなしは沢山あるが、こういう話を頭の中で混ぜてこねながら、釣りの計画を立てている^ - ^

ホントここは、松山観光港ではなく竜宮城だったのである。←いやそれは松山観光港だろε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘


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