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『旗本退屈男』

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BSフジで『旗本退屈男』の再放送が始まった。
毎週(月)~(金) 09:00~10:00 (全26話)
7月15日(木) 第1話「向う傷由来」

 直参旗本・早乙女主水之介は“天下御免のむこう傷”と江戸で評判の三日月の傷を額にもつ二枚目。剣は諸羽流青眼崩し、体術は揚心流息の根どめ、軍学まで修めた武芸の達人ながら、太平の元禄にあっては無役の退屈者。
https://www.bsfuji.tv/hatamoto/pub/index.html

 公式サイトには「剣は諸羽流青眼崩し」とあるが、原作では「諸羽流正眼崩し」である。「せいがん(正眼、青眼、星眼、清眼、晴眼)」とは、刀の切先(きっさき)を相手の目に向ける「中段の構え」である。
 どんな構えか知らないが、高橋英樹さんは大刀を腰の高さで右手1本で垂直に立てて構え、顔は斜めの「四方睨み」であった。
 市川右太衛門さんの「諸羽流正眼崩し」は、刀を正面より左にずらして垂直に立て、左足を踏み出す「逆足」でした。

■佐々木味津三『旗本退屈男』
 屋敷は本所長割下水、禄は直参旗本の千二百石、剣の奥義は篠崎竹雲斎(しのざきちくうんさい)の諸羽流(もろはりゅう)、威嚇のもととなったそれなる三日月形の傷痕は、実に彼が今から三年前の三十一の時、長藩七人組と称された剣客団を浅草雷門に於て向うに廻し、各々これを一刀薙ぎに斬り伏せた折、それを記念するかのごとくに対手から負わされたその傷痕でした。無論人を威嚇するに至った原因は、それなる七人をよく一刀薙ぎに斬り伏せたからにも依るが、よりもっと大きな威嚇のもととなったものは、その時主水之介が初めて見せた諸羽流奥義の正眼(せいがん)崩しで、当時七人組は江戸の町道場を人なきごとくに泣かせ歩いた剣豪揃いだったにもかかわらず、ひとたび彼の正眼崩しに出会うや否や、誰一人これを破りうる者がなく、七人が七人悉く敢ない最期をとげたので、早乙女主水之介の驍名(ぎょうめい)はその時うけた三日月形の傷痕と共に、たちまち江戸御府内を蔽うに至りました。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000111/card565.html

 ワタシ的には「諸羽」は「両刃(もろは)」であり、二刀流だと思うのですが、違うのかな?
 一説によれば「諸刃の剣」。片刃の日本刀と異なり、両側に刃がある剣の場合、上から振り降ろし、それで斬れなかったら、振り上げながら反対側の刃で斬るそうで、「正眼崩し」は佐々木小次郎の「ツバメ返し」のような技だというが、それをやるには、「正眼(中段の構え)」では無理なのでは? 「上段の構え」になると思うよ。

 剣道では「先手必敗、後手必勝」。「相手に先に打ち込ませて斬る」という「後出しジャンケン殺法」が「奥義」であり、その最たるものが眠狂四郎の「円月殺法」(刀を回し、相手をじらして先に打ち込ませ、その太刀筋を読み、相手の刀をよけながら斬る一刀薙ぎ)であり、塚原卜伝の「一之太刀」(上段に構えて隙だらけにし、相手に先に打ち込ませ、その太刀筋を読み、相手の刀をはじきながら斬る一刀薙ぎ)です。
 「正眼崩し」も、完璧な構えの「正眼」を崩して隙を見せ(刀を左にずらして右に隙を作り)、その隙を突ける太刀筋に限定させて、逆足で左側によけながら斬る殺法のようです。(人を斬る基本は、左肩から右脇に斬る「袈裟懸け」ですが、「左側から攻めなければならない」というルールはないので、相手が左右のどちらから攻めてくるか分からないのですが、「正眼崩し」は左側の防御を固めた構えで、左肩から右脇に斬る「袈裟懸け」では防がれてしまうので、相手は右側を攻めるはずで、左によけながら斬ればいいのです。)

※一刀薙ぎ:最初の一撃(一の太刀)で相手をしとめること。大谷選手のホームランダービーを見たけど、木製の軽いバットでも、何度も振ればヘトヘトになる。ましてや重い鉄製の刀を何度も振るのは無理。

 さて、今日の第1話「向う傷由来」であるが、長藩七人組ではなく、剣の達人との1対1の決闘でついた。剣の達人であるから、切り口は直線のはずで、なぜ曲線(三日月型)に切れたのかは不明。

 作者は愛知県北設楽郡設楽町津具出身の佐々木味津三(ささきみつぞう)で、主人公の早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)のモデルは金指近藤氏(静岡県浜松市北区引佐町金指)の近藤登之助貞用(1606-1696)とされている。

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