「日高見国」とは?
「ひだかみのくに」で変換キーを押したら、「飛騨上国」と変換された。
「飛騨国以東の国か。『もののけ姫』とか、照葉樹林文化論だな」
と思いきや「日高見国」で、太陽信仰が関係しているらしい。
太陽信仰であれば、日本で最も高い富士山周辺の国かと思ったら、古代日本人には垂直思考はなく、水平思考であるので、最も早く日が昇る最東端の国らしい。大和政権がある紀伊半島の東端は伊勢であるが、さらに伊勢の東の本州の最東端の地は?(本州の最東端は岩手県宮古市の魹ヶ崎(とどがさき)であるが、古代人は、「日本列島で最も早く初日の出が昇る」という千葉県銚子市あたりと考えたのではないだろうか? そして、そこに日高見国があったのでは?)
日高見国=日立国(常陸国)=高天原=邪馬台国?
『日本書紀』は、奈良県史であり、他の王国(北九州の倭国、出雲国、茨城県の日高見国など)の歴史は「神話の国の歴史」として、神代に収められているようである。
その『日本書紀』によれば、日本武尊の東征とは、「日高見国征伐」のことであるから、日高見国は、大和国ではなく、大和国の東に位置する国であることは明らかであるが、具体的な位置については諸説ある。
※『日本書紀』「景行紀」に、東国を巡察してきた武内宿禰が帰朝して「東夷(あずまのひな)の中に、日高見国有り。其の国の人、男女並に椎結文身(ついけいぶんしん)し、為人(ひととなり)勇悍なり。是れ総べて蝦夷と曰(い)ふ。亦(また)、土地(くに)沃壌にして曠(ひろ)し。撃ちて取るべきなり」と進言したとある。
説①日高見国=大和国(『大祓詞』では「大倭日高見国」)
・「日高見」は「日の上」のことであり、大祓の祝詞では天孫降臨のあった日向国から見て東にある大和国のことを「日の上の国(日の昇る国)」と呼び、神武東征の後、王権が大和に移ったことによって「日高見国」が大和国よりも東の地方を指す語となったもの(松村武雄)
説②日高見国=大和国の東の蝦夷地(『日本書紀』『常陸国風土記』)
・『常陸国風土記』では、蝦夷(東北地方)との出入り口である常陸国信太郡(茨城県稲敷郡一帯)だとする。
「物部河内」「物部会津」と、地名が名前になっている。「蘇我蝦夷」のようなものか?
・安倍晴明の母が住んでいた信太(大阪府和泉市)は「しのだ」と読むが、ここは「しだ」と読み、語源は、『常陸国風土記』に「日高見国の別名・赤幡垂国(赤幡が垂れる国)による」とある。
・物部氏の本拠地の1つに出雲国があるが、出雲弁と東北弁が似ているのが気になる。
説③日高見国=大和国の東の架空の地で特定の場所を指すものではない。
・実際の地名とは関係ない空想の地で、日の出る方向によった連想からきたもの(津田左右吉)
・大和国の東の国々。蝦夷が住む東の国々の意味で、特定の場所(国)を指すものではない。
説④日高見国=東北王朝「日本国」
・「日高見」とは「日の本」のことであり、古代の東北地方にあった日高見国(日本国)が大和国に併合され、「日本」という国号が奪われた。(高橋富雄)
・北上川流域(金田一京助)=陸奥国
・日高見神社(宮城県石巻市桃生町太田)
・田中英道『高天原は関東にあった』2018
・田中英道『日本の起源は日高見国にあった』2018
説⑤日高見国東進説「蝦夷の北走」
・最初の日高見国は九州の日田市で、そこから東進して東北に至る。(神尾正武)
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