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古田史観から福永史観へ

■古田武彦(1926~2015)

 大宝元年(701年)まで、北九州、もしくは、北九州~朝鮮半島南部に九州王朝「倭国」があり、太宰府(福岡県太宰府市)が首都だったという「九州王朝説」の提唱者。
 北九州が約30ヶ国からなる連合国家「倭国」の一部であったことは確実であるが、近畿地方の日本国とは別の国で、大宝元年(701年)まで存在したとか、『魏志倭人伝』に登場する裸国と黒歯国は南米大陸北半(エクアドル)にあるとする話は受け入れがたいが、「古田節」と呼ばれる語りは、九州を中心に人気があった。
 古田氏については、偽書『東日流外三郡誌』の真贋を誤ったことで人気が急降下し、九州市民による古代史研究会の分裂、古田氏の死没もあって、「九州王朝説ブーム」は去った。

■福永晋三(1952~)

 古田氏に代わり、現在、九州市民による古代史研究会が支持しているのは福永氏で、倭国=豊国説邪馬台国=鷹羽国鷹羽=田川説の提唱者として有名である。これらの説の真偽はともかく、「壬申の乱」が北九州で起きたとする話や、倭国が延暦3年(784年)まであったという話は受け入れがたいが、「福永節」と呼ばれる語りは、九州を中心に人気がある。(私の説は、田川=こうら=高良玉垂神である。ただし、高良玉垂神は、卑弥呼の時代の人ではなく、100年後の仲哀天皇&神功皇后の時代、いわゆる「空白の4世紀」の人だと思われ、神功皇后船団の水先案内人を務めた。
 高良玉垂神=住吉五神の底筒男命=安曇磯良神=物部(阿部)保蓮
※『高良玉垂神秘書』では、「住吉五神」高良玉垂神(底筒男)を崇神天皇(中筒男)の弟だとする。

玉依姫と彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊はやがて夫婦となった。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は住吉大明神である。その子を住吉五神という。2人は女子、3人は男子である。2人の女子の名は表津少童命、中少童命という。男子は3人いて、嫡男は大祝の先祖・表筒男、次男は神武天皇で名は中筒男、三男・高良大菩薩の名は底筒男という。

現代語訳『高良玉垂神秘書』
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 福永先生は、小学校4年生の時、天照宮(てんしょうぐう。福岡県宮若市磯光)の御祭神が天照(あまてらす)大神(女神)ではなく、垂仁天皇の御世に笠置山に降臨した天照(あまてる)国照彦天火明櫛玉饒速日尊(男神)であることに衝撃を受け、古代史に興味を持ったという。現在は瀬織津姫に興味を持ち始められたようで、今後、どのような論(邪馬台国論ではなく神々についての論)が打ち出されるのか楽しみです。




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