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茂木誠先生 饒速日&阿波説

1.饒速日(にぎはやひ)

■神武東征の動機

 抑又(はたまた)聞於鹽土老翁、曰「東有美地。靑山四周、其中亦有、乘天磐船而飛降者」。
 余謂、「彼地、必當足以恢弘大業、光宅天下。蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎」。諸皇子對曰「理實灼然。我亦恆以爲念。宜早行之」。

『日本書紀』

【現代語訳】さて、塩土老翁(シオツチノオジ)から聞いたのだが、「東に美(うま)し地がある。青山が四方を囲み(注:山々に囲まれた奈良盆地)、その中に天磐船(あまのいわふね)に乗って飛び降りた者(注:高天原から降臨した者)が居る」と。
 私(後の神武天皇)が言うに、「その土地は、きっと大きな事業を広め、天下に威光を輝かせるに相応しい場所である。多分、六合(りくごう。上下(天地)と四方の6方向。つまり全世界)の中心となるであろう。飛び降りた者とは饒速日(にぎはやひ)だろう。そこへ行って、都にしようではないか」と。皇子たちは答えて、「もっともなことです。私もまたそう思っていました。早く行きましょう」と。

■「饒速日」とは?

 『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上哮ケ峯(いかるがみね)の地(現在の磐船神社周辺の一帯地と考えられている)に降臨し、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。
 これらは、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。
 また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。
 大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 墳墓は、奈良県生駒市白庭台にある白庭山である。

 饒速日は、神武東征に先立ち、天照大神から「十種の神宝(とくさのかむだから)」を授かり、天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上哮ケ峯(いかるがみね。現在の磐船神社(大阪府交野市私市9丁目)周辺)に降臨し、その後、長髄彦の妹を娶り、大和国(奈良県)に移ったとされる。

※「神武天皇聖跡鵄邑顕彰碑」

※矢田坐久志玉比古神社

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2.淡路島と阿波説


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