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Recoの君語りー『光る君へ』(第16回)「華の影」ー

 主人公は紫式部。 平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は、藤原道長への思い、そして、秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。
 変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。(NHK)

──光が強ければ強い程、影は濃い。
──華の影

 今回のサブタイトルが「光と影」でも、「花と影」でもなく、「華の影」であるのは、『栄物語』と掛けたのか? 中宮定子の登殿と掛けたのか?
 「華(藤原道隆の栄華)の影では疫病が流行していた」ということか?
 「影」は。反藤原道隆による放火とか、藤原道隆に忍び寄る病魔か?


 私にとって、今年の大河は、高校の日本史と古文の復習だな。

 奈良墨・・・私は、墨は修学旅行の時に買った古梅園の「お花墨」、筆は東光院の「淀君ゆかりの萩の筆」を使ってます。硯石は名も無き安物です。(端渓硯なら、数万円の安物がありますが。)

寛和  2年(986年)6月23日 「寛和の変」(花山天皇の退位と出家)
               一条天皇(7歳)即位
寛和  2年(986年)「庚申待ちの夜」(「青春篇」終了)
永延  2年(988年)1月29日 藤原道長、権中納言に就任。
永延  2年(988年)源倫子、藤原道長の長女・藤原彰子を出産。
永延  2年(988年)11月8日  「尾張国郡司百姓等解文」(尾張国申文)
永延  3年(989年)6月26日    藤原頼忠(藤原公任の父)、死去。
永延  3年(989年)8月  8日 ハレー彗星出現。「永祚」に改元。
永祚  2年(990年)1月25日 藤原定子(14歳)、一条天皇に入内。
永祚  2年(990年)3月31日~4月1日 藤原宣孝、御嶽詣。
永祚  2年(990年)  5月  8日 藤原兼家、出家。「如実」と号す。
永祚  2年(990年)  6月   清原肥後守元輔、任地・肥後国で死去。
永祚  2年(990年)  7月  2日 藤原兼家、死去。
永祚  2年(990年)  8月30日 藤原宣孝、筑前守に就任。
永祚  2年(990年) 10月 5日 藤原定子、中宮に。
永祚  2年(990年)11月  7日 「正暦」に改元。
正暦  2年(991年)  2月12日 円融法皇、崩御。享年33。
正暦  2年(991年)  9月16日 藤原詮子、出家。「東三条院」と称す。
正暦  3年(992年)  1月   源倫子、藤原道長の長男・藤原頼通を出産。
正暦  4年(993年)  7月29日 源倫子の父・源雅信、死去。享年74。
正暦  4年(993年)     源明子、藤原道長の次男・藤原頼宗を出産。
正暦  5年(994年)  2月10日 後涼殿より出火。
正暦  5年(994年)  2月17日 弘徽殿より出火。
正暦  5年(994年)~正暦6年(995年)天然痘の大流行。

長徳  2年(996年) 1月25日 藤原為時、淡路守に就任。
長徳  2年(996年) 1月28日 藤原為時、越前守に急遽変更。
・・・・・・第21回(5月26日放送予定)から「越前篇」スタート・・・・
長徳  4年(998年)     麻疹の大流行。


1.「雪のいと高う降りたるを(香炉峰の雪)」(『枕草子』)


【原文】
 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などして集まり候ふに、「小納言よ。香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。
 人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人にはさべきなめり」と言ふ。

【現代語訳】
 雪がずいぶんと高く降り積もって(日が昇っても寒いので)、いつもとは違い、格子を下ろして(外気を遮断し)、火鉢に火をおこして、(女房たちが中宮定子サロンに)集まって話をしている時に、
「清少納言よ、香炉峰の雪はどうかしら」
と(中宮定子が)おっしゃるので、(女官に)格子を上げさせ、(私が)簾を高く上げたところ、(中宮定子は)お笑いになった。
 女房たちも「その詩は知っているし、歌を詠む時に引用するけど、(実際に詩のように行動するとは)思いつかなかったわ。やはり、中宮にお仕えする人は、こうでなくては」と言った。

【解説】
 清少納言の自慢話である。
 今で言えば、
「外の景色が見たい」
「じゃあ、カーテンを開けさせましょう」
という会話なのであるが、そこは平安時代、風流である。
 まずは、中宮定子が、
「比叡山に雪は降り積もってるかしら? 見てみたいわ」
というところを、
「香炉峰の雪はどうかしら」
と言った。普通は、推量の助動詞を使って、
  夜もすがら 降り続けたる 雪なれば
          香炉峰にも 雪は積むらむ
と和歌で返すのであれるが、「香炉峰」(中国江西省九江県西南にある廬山(ろざん)の北峰)といえば、白楽天の、
  香爐峰雪撥簾看(香爐峰の雪は簾を撥(かか)げて看る)
であるから、簾を高く上げて外の風景を見せたのである。
 ただ実際のクイズは、「香炉峰の雪いかならむ」=「山に雪が降り積もっているかしら?(見てみたい)」ではなく、もう少し難易度の低い「香炉峰の雪はいかがして見む」=「香炉峰の雪はどうやって見るのだったかしら」ではなかったかとは思います。
 清少納言も凄いが、中宮定子サロンの女房たちも凄い。「さることは知り、歌などにさへ歌へど」と言った。普通のレベルの女房や、このドラマの源倫子では、「(女性なので)和歌の教養はあるが、(男性と違って)漢詩の教養は無いので意味が分からない」って状態でしょう。

2.悲田院

聖徳太子の四箇院
・敬田院:寺院
・施薬院:薬局
・療病院:病院
・悲田院:身寄りのない老人や孤児などのための社会福祉施設
悲田と悲田院:恵みを生みだす田のように、福徳を生む物事を「福田」といい、「悲田」は「福田」の1つである。「悲田」の「悲」は、仏教の「慈悲」の「悲」であり、「悲田院」は、仏教の「慈悲」によって苦しみを除き、福徳を生む田のような施設であり、具体的には、身寄りのない孤児、身寄りのない老人、身寄りのない病人を救済するという仏教の「慈悲」の実践の場であり、平安京には東西にあった。

https://note.com/senmi/n/nfd7cd3252d98


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