自担に「満たされる」ということ

ジャニオタとしてのわたしは、自分の尺度ではあるけれど「満たされている」方だと思っている。心もファンとしてのキャパシティも、いつも満ち満ちている感じがある。“好き”の気持ちだけは、溢れてこぼれだしていることは置いといて。

「満たされている」ということは、自身や担当のバックグラウンド、応援のスタンスなどで異なるし、何をもって「満足」になるのかは人それぞれ。
SNS時代もあって声が届きやすくなったことやファン同士の対立が可視化されやすくなったことで、欲や嫉妬という名の心の器はどんどん深くなり、満たされることがなくなった人もいるかもしれない。

わたしはなにで満たされているのだろう。わたしは、川島くんの何を見て満足しているのだろう。「何で」「何が」。そんなものに、正解はない。わたしが「満たされている」と思えば、それがわたしの正解なのだ。

アイドルの応援の形にはいくつか種類があるけれど、わたしは適度にリアコ、適度にお茶の間で、それも自分の心の持ち方にあっているのだと思う。「好きな人がいる」ということと、「好きな人は遠い人」ということ、そのバランスが夢心地となって、絶妙な幸福感を与えてくれる。それが「満たされている」と思う理由なのかもしれない。

アイドルを応援することは、必ずしもイコール自担に恋をするということではないけれど、どちらにせよ一生叶わない〈片想い〉のはじまりである。基本的には一方通行に見つめているだけで、「好きだなぁ」という気持ちを自分の心の中で育てていく。それは、今時の中学生もびっくりな「ピュアな恋愛」とでも言っておくことにしようか。

もし、その〈片想い〉を楽しめず悩み苦しんでしまうタイプだったならば、個人的にはアイドルを応援することからとっくに身を引いていると思う。

如恵留くんを見ているとドキドキして、わくわくして、たまに気持ちが涙腺を刺激したりして。生きることに精一杯になっているこの日々の中で、まだ誰かを好きになる余力があったんだなと、如恵留くんのことを好きな自分がちょっと好きになる。
そんな〈片想い〉がある毎日が、わたしは楽しくてしかたない。

でも、そう言いながらも正直、〈両想い〉はもっと楽しかった。有料ブログの内容なので詳しくは触れられないけれど、如恵留くんは、のえ担の〈恋人〉になってくれたのだ。アイドルを応援している身として、そんな嬉しいことがあるなんて初めて知った。「これがリアコか~~」なんて頭を抱えたりもした。

「国民の恋人」的なその言葉は、もうすでにパンパンに満たされているはずの心に、もうちょっとだけ深さがあったことを教え、ほんのちょっとだけわがままにした。〈片想い〉もいいけど、〈両想い〉はもっといいね。のえ担のことずっと一番大切にしてね。

一方通行なのも遠い人なのも一生変わることはないけれど、アイドルを応援することは自分を自分たらしめる。それがわたしの人生のエッセンシャルなのだ。

わたしの毎日には如恵留くんがいるし、如恵留くんの毎日にものえ担の存在があるのなら、その優しく心地のよい距離感で、わたしは今日も満たされている。


お題:「満たされる」

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