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川崎長太郎「抹香町・路傍」

 以下は、2021年の日記からサルベージしたものである。

 つげ義春の随筆「貧困旅行記」の中に、川崎長太郎という小説家が出てくる。川崎長太郎の経歴等はウィキペディアなどを読んでほしいが、小田原の魚屋に生まれ、文学を志し上京したものの、帰郷して実家のトタン張りの物置に寝起きし、朝は公衆便所の水道で顔を洗い、近くの食堂で寿司を食べ、女郎屋を徘徊し、ミカン箱で小説を書くという凄まじい生活を送っていた人物。まあ、端的に言えば私小説家で、自分のことを赤裸々に小説で語っている人である。
 川崎長太郎に興味を持った私は、とりあえず講談社文芸文庫から出ている「抹香町/路傍」を読んでみた。実は私小説、初体験である。ブクログを見るとこの本を買ったのは2019年とあるから、読了するのに2年もかかったわけだ…というより、ずっと積ん読にしていたというのが真相である。

 その中の短編「ふっつ・とみうら」は、老年になって若い妻を貰った川崎が、妻と旅行に出る話。横浜からフェリーに乗り富津まで行く。川崎は老年となり体力も落ち、体調もあまりよくない。旅館で刺し身を食べ、少し歩いてから部屋に戻り横になる。すると、妻がこうつぶやくのである。

「あの、ね。あんた死んだら、遣ったお金貰って、私アフリカへ行くわ。行けるでしょ。そう、あんたの法事済ましてからね。アフリカへ行って、お金なくなったら、異土の乞食になって、それから死ぬわ」

 ドライな妻の言葉に川崎は「もう寝なさい」とツッコミを入れるのだった。

 さて、つげ義春の「日の戯れ」とか「退屈な部屋」などの短編では、私小説的な展開であるとよくいわれる。私は事前にそれを読んでいたので、この「ふっつ・とみうら」を読んだ時も、「ああ、こういう感じか」で納得がいったのだが、エンターテイメント性の強い小説を読み慣れている人は肩透かしを喰らうだろうなあ…とぼんやりと思ったのであった。


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