美しい人についての何か


明け方、目を覚ますと知らない天井が目の前にある。
夢なのかどうかわからない。しばらく薄目で天井を見ていた。気がついたらまた夢の中だった。

夢ではいつも追われていた。
なんだか知らないけど拳銃を持った男が運転する車に追いかけ回されるバスに乗ってしまったり、なんだかわからないけど命を狙われていたりした。
焦って起きると知らない天井があり、よくわからないまままた眠りに落ちた。

起きて、ノロノロと支度をする。
なんでこんなところにいるのだろうと思う。
こんなところから抜け出してしまいたい。でもそれはそれで気力がいる。
ほんとうに、何をしているんだろう。

そういう生活はいつのまにか終わった。終わる頃に曲ができた。

"連れ出してほしい/どこにも行きたくない/矛盾の海で今日も私は"

知らない天井を見ていたらそう思った。
空虚な空想の中で私は生きていくんだろう。
手に入れたい物を頭に浮かべながら、違うことをしてなんとなく生きていくんだろう。そう思っていた。


美しい人は、私の歌を聴かない。
私に過度な幻想を抱くことはなく、だからといってこき下ろすこともなく、ただそこにいる。

ただそこにいることができる人間は少ない。
側にいる人間のことが気になってしまい、口を挟んでしまうのが常だと思う。
でもその人は、黙っている。よく喋るのだが、無駄なことを言わずただそこにいて、頃合いを見て過不足ないタイミングで去っていく。
そういう立ち居振る舞いが、その人を美しく感じさせているのかもしれない。



あ、また知らない天井。
でもこれ夢かな、と思う。もうずいぶん長い間、夢と現実の区別がつかない。起きても起きても夢の中なのだ。同じ部屋でいつも起きる。
そういえばあの約束、あいつ忘れてるなとか思い出して、また眠りに落ち、起きると知らない天井。その繰り返し。

起きたら自分の部屋のガラスブロックに朝日が差し込んでいた。


毎日はすごい速さで過ぎていく。
自分のことを洗いざらい話した帰り道、本屋で小川洋子の小説を買い、読みながら帰った。

あと1曲は絶対に作りたいと思いながら、何も浮かばないでいた。

読んでいて、これにしようと思ったら速かった。
歪んだ愛でも、本人にとってはまっすぐで嘘偽りない。そんなことを考えていた。


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レコーディングをした三崎の町の海は静かすぎて、
滞在している3日間で自分がなんとなく狂っていくのを感じた。
同じ神奈川県に住んでいるのに、全然違う時間軸で動いている感じがした。ゲームの中の世界や、夢の中の町のような感覚に陥った。

そして最終的に私は歌えなくなってしまった。

単純に考え過ぎたのだと思う。生きることに意味なんてないし歌うことに理由なんていらないのに、頼まれてないのに音源を作って私は何をやっているんだろうとずっと考えていた。
でもそれは三崎に着いてから考え始めたことではなかった。歌い始めてからずっと考えていたのだと思う。
「売れる」という漠然とした概念に向かって進むミュージシャンたちを見てきたが、上手くいった人、上手くいかなかった人がそれぞれいた。売れてるから偉いみたいな価値観で話されるとぶん殴りたい気持ちになったが、ただ黙っていた。そういうものが噴出するトリガーが、三崎という町だった。

ミュージックビデオの撮影で再び三崎を訪れる頃には、私はだいぶ回復した。リリースは控えていても、整理する時間があった。別に、なんでもいいじゃんね、と思えるようになった。

自分のことだし、なんでもいいじゃんね、
と思えるかどうかが人生の鍵なのかな、と最近は思っていますが、そちらはどうでしょうか。

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