「微睡:解離」についての怪文書

エレベーターに乗る夢をよく見る。
目的の階になかなか着かず不思議に思っていると、エレベーターはやがて上下だけではなく前後左右にも動き始め、モノレールか何かに乗っているような気分になってくる。ずっと降りられないけど外が見えていて、やがて建物を飛び出して工場地帯や住宅地に進出する。大きなきれいな川に出た時もあった。目的地がわからない謎の旅に突然放り出された気分でいると、目が覚めてなんとなく安心する。エレベーターの夢はいつも、なんとなくではあるがそのまま死んでしまうような気がしてくるのだ。

幼少期は暗くて冷たいイメージの岩のようなものに延々と追いかけられるような夢を繰り返し見ていた。言葉にすれば陳腐なのにものすごくこわいと思っていた。深夜に目が覚めても家族はみんな寝ていて、両親に泣きついてもてきとうにあしらわれて、無理やり入ったベッドの真ん中で泣いていた記憶がある。
ハリーポッターシリーズの映画のたたかいのシーンを観た時、幼少期の夢を思い出した。暗くて冷たくて怖いイメージ。ハリーの悲しい記憶や繊細さを連想するそれらは、シリーズの中で繰り返し登場する印象がある。小中学生の多感な時期に何度も観るうちに、私の中に刷り込まれていったように思う。


「夢の淵/罪の淵」はそういう暗くて冷たいイメージを歌詞に落とし込んだ。歌唱に関してはもう少しドライに歌えたらよかったと思う部分がありつつ、自分の中での正解を見つけきれなかったと正直思っている。

「あの街には君がいて/何にも知らない笑みが/ぷかりと浮かぶ泡になったら/手を伸ばしても届かない」
私にどんな事情があろうと世界はいつも通りだし、それは親しい間柄の「君」であろうと変わらない。どうすることもできない孤独の前で立ち尽くしている時間は、はたから見たら無駄で、私にとっては必要で、なんとか落ちないように日々を重ねることしかできない状態をある種俯瞰して見ている。


4月に今の家に引っ越してきた。最初の何日かはからっぽの部屋に寝袋を持ち込んで眠った。
生きているのか、今がいつなのか、ここがどこなのか、そういうことがわからなくなった。
友人が「そこまでの状態の人は初めて見た」と言った。友人と食べたカレーはおいしかった。そういう記憶はある。

その頃の夢の中の私は実家に住んでいることが多かった。しばらくするとさすがに新居に住んでいる設定の夢も見るようになった。でも大抵の場合が何者かに部屋に侵入されていた。玄関を開けると絶縁したはずの人間が立っているとか、知らないおじさんが部屋にいるとか、不安を具現化したとしか思えないシチュエーションが多かった。そういう夢を見て起きると再入眠が難しい。でも起きているとドアの向こうで何かが起こるような気がしてくる。Twitterを開くと同じように眠れない人が何かしらを言っていて安心する。でもブルーライトは頭を冴えさせる。そうこうしていると日が昇り、鳥が鳴き始め、隣人が窓を開ける音がする。夜中のように孤独ではないと思うとなぜか安心して、私は眠りに落ちることができる。


ミニアルバムを作るにあたって、シングルの延長線上のようなイメージで歌詞を書くことにした。
ここにいるのかいないのか、夢なのか現実なのか、私にもわからないものたちが私を形づくっている。ふわっとしているように思えるそれらに陰影を与えるために私が使えるツールが言葉であり、音楽なのだろう。


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クロダセイイチ×しずくだうみ
コラボミニアルバム「微睡:解離」

2021年1月13日リリース

収録曲
1. introduction
2. プロローグ
3. 灰色の街
4. 夢の淵/罪の淵

OTOTOY
(アルバム購入で歌詞PDFがつきます)

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