2021/02/16

今日は1月末から入院していた祖父が総合病院を退院し、新規で介護施設に入所する。そのため私は数日間実家に留守番に来ている。祖父は現時点でまだ生きていて、しかし既に覚えているような祖父と同じではないということを面会した母や祖母伝いに聞いている。姿も見ないままに生きているはずの祖父が死んでいくようなので、この妙な心地をどう表せばいいのか考えあぐねている。

頑固さは強さではない。祖父は救急車で病院に運ばれるその日まで介護や補助の介入を最後まで嫌い拒んで、腹水が溜まり肺の機能が4割ほど失われ発作を起こしていても病院に行くことを拒否したそうだ。後日、トイレを億劫がっていたことで祖父は身体のあちこちに排泄物による爛れができていたことを入院後に看護師から聞き母はショックだったと語った。そして人の話を聴き入れ素直であることが一番大切だと言った。あと1日遅ければ助からなかったと医師から言われたそうだ。祖父が相当な痩せ我慢をしていたのか、苦しさを上回るほど介護や病院を拒むような何があったのかも、入院したことで体力が落ち寝たきり寸前になってしまった今では気持ちを確かめることは難しくなってしまった。

祖父という人物は元気な頃から口数がとても少なかった。頑固な人でなんでも自分のやりたいようにやらなければ怒鳴るような、昔ながらの親方気質と亭主関白を敷いている人だった。人混みや騒いでいる人を嫌い、神経質で偉そうで威圧的に見られていた。しかし生き物が好きで、飼っていた猫が亡くなった際に猫に宛てて書いた手紙があったり母が小さい頃は庭にウサギ、ニワトリ、ヤギなど様々な生き物を飼育し小屋を作っていたそうだ。
また、祖父の絵は見たことがないけれど若い頃に油絵をやっていて離れの小屋の二階を小さなアトリエに改造していたらしい。美しいものや可愛らしいものに優しさを向ける人で、定年退職後は数々の山野草を買い集め庭を作ったり凝った鉢を仕立てたりと私が実際に見た以外にも色々な点から繊細な部分もある人だったようだ。幼い頃よく遊びに行った祖父の寝室には西洋の女性のヌードグラビアのカレンダーが飾られていたりしたっけ。

だけど無口で険のある土佐犬みたいな顔つきだった祖父は子供心には話しかけるに実に緊張する人だった。しかし、前述のような性格で母(長女)の娘かつ初の女孫の私は特に、可愛がってもらっていた気配があった。

他にもとても几帳面で、毎日のように新聞から主要なニュースを切り抜きファイリングし同じような分厚いファイルケースが何冊も居間の棚に並べられていたり、本好きで脳梗塞で倒れてからは遺書の書き方についての本がそれも数冊書棚に立てられていたのは印象深かった。小説以外にも図鑑、実用書を中心にあらゆる知識についての本が書棚に並んでいた。日常的に積極的に文に触れ、知識を取り入れようとしていた祖父でも自身の痴呆や病気に追いつくことはできなかったのだなと思うと尚更無念さがあるし、今の記憶もあやふやで生命力を失ってしまったという様子は別人のようで信じられないのだ。

祖父は私が小学生の時に一度脳梗塞を起こしていた。糖尿病に起因するものらしかった。それから祖父は禁酒、禁煙をした。
おそらくこれは全国の生活習慣病を患った人や服薬することになった人は誰しもが言い渡されることだと思うけど、本当にスッパリと禁煙に成功していたのはすごいことだと思う。その苦心はとても大きいと聞くし禁煙、禁酒外来などがあるということはそれなりに難しいことなんだと思うからだ。
できなかったことといえば食事制限だろう。無類の甘い物好きで、味も濃いのが好きで減塩を嫌う。ラーメンの汁は全部飲むなど、家族が言っても医者が言っても世の中が言っても一切受け付けず、我慢するくらいなら短命でもおいしいものを食べるという一貫した考えの人だった。

父親がいない私にとって自分が持っている男性像、想像し得る父性の大半は祖父によるものが大きい。そのため祖父の容態、様相の変化は大きな衝撃だ。でもそれを留めておきたくて、覚えておきたくてこうして知っていることを書き出している。
完璧でなく気難しい人でも私にとって祖父がいた日々はかけがえなく美しくて、もう過ごせない思い出の中の景色は手に入らないからこそ確かで、とても鮮やかに見える。だから、大切に丁寧に自分だけがわかる場所に閉まっておきたい。

日曜の昼下がり、毎週のようにサティの本屋に歩いてフードコートでソフトクリームを食べて好きな本を買ってもらっていたことや、寝坊した時自転車の後ろに乗せて学校に送り届けてくれたこと、寝室にチョコを買いだめしてはこっそりくれたこと、私の意見だけには耳を傾け別段に甘かったこと。多分そういう祖父だからこそ大好きだったと思う。そして今すべてを忘れていき家族から離れこれから別人になってしまうであろう祖父のことも大切な記憶が死なない限り変わらず好きでいられる。

面会はこのご時世できないそうで、親族散り散りになってはいつ互いの顔を見ることができるかわからない。私にできることといえば手紙を書くことくらいだろうと思った。きっと落ち着いたら祖父に宛てる言葉を、手紙を書こうと思う。


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