老人の怒り

夕食を食べていると老人が突然怒鳴った。
よくわからないがテレビに向かって怒っているようだった。しかし瞬間的で理由のわからないその行動は奇妙に思えた。

私は判断のため怒りの方向について考えてみる。「怒り」とは感情の一つのため、主観の上に発生するものだと考える。
感情は個人のもので、それを抱いた側にしか分かり得ないことだ。そのため私には老人の怒りがわからないが、状況から老人は映像の中の何かに怒りを感じたのだろうと推測できた。
個人的な経験上だけど主観は共感性を刺激されないと現れないと思う。そして、共感や投影をするのは自らとの相似点を対象の中に見た時や、自分自身と同様の点がある場合だ。
少なくとも私はテレビに映るニュースの数秒の場面にそのように深く共感することは無かった。残虐性のある事件も住んでいる地域の物騒なニュースも客観でしか捉えられないし主観的になれないことが多い。あくまで自分とは切り離されていて、客観の中にひとつの事実があると捉える。

老人はニュースを主観的に見ていたのだろうか。
おそらく想像力や感性がかなり豊かであるか、自分に関わることでもなければ私ならそこまで入り込めないと思った。
老人があそこまで怒りを表出したことに意義はあったのだろうか。
「怒り」や負の感情の表現はどんな形であれ不安を煽る。なので避けたいと思った。

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