高橋和巳『アーユルヴェーダの知恵—蘇るインド伝承医学』[20211205]

人間にとっての真の健康を追求するのがアーユルヴェーダである。ここで言う健康の定義とは何か。アーユルヴェーダの古典『スシュルタ・サムヒタ(外科医スシュルタ本集の意)』にはこう書かれている。

①ドーシャのバランスがとれていて、                  
②健康な食欲をもち、                     
③ダーツゥが正常にし、                    
④マラのバランスが整い、                   
⑤意識、こころ、五感が至福に満ちている            
人は、健康な人間と呼ばれる。(本文p.40,41より引用)

①のドーシャバランスはヴァータ、ピッタ、カパの三つのドーシャのバランスのことを指す。

ヴァータ・・・「軽さと動き」の性質を持ち、体内の情報伝達や胃腸の動きなどの〈運動〉を制御する。
ピッタ・・・「熱と鋭さ」の性質を持ち、〈代謝〉を制御する。
カパ・・・「重さと安定性」の性質を持ち、細胞や身体の〈構造〉を決定する。

②の健康な食欲というのは、単にお腹が空くという意味ではない。自分にとって必要な食事の内容と量を自分で感じることができる食欲のことである。③の「ダートゥ」というのは食物の正常な消化プロセス、④の「マラ」は正常な排泄、⑤の五感の至福とは禅の三昧鏡、いわゆる悟りの状態である。

瞑想をきっかけとして東洋思想と東洋医学に興味を持ち始めた。特に東洋医学は非論理的、非科学的なものとして敬遠されることが多いように感じる。東洋医学は特に量子力学と相性がいい(?)らしい。実際に本書でも「なぜハーブが効くか」という問いに対して、薬草の固有の振動が人間の細胞に調和の振動を伝えるからと答えている。これは量子力学で言うところの場の振動に対応するようだが、正直私にとってはちんぷんかんぷんである。少なくとも量子力学に関する知識を持ち合わせていない人間が無批判に受け入れてはいけない内容であることは確かである。直感では胡散臭いと感じる。

例えば、アーユルヴェーダで用いられるハーブの一種に「ラサーナヤ」がある。薬草と果実が複雑に調合されたハーブである。実際に臨床試験において動脈硬化や乳がんの発生率が抑えられることが示されているのだが、ラサーナヤに含まれるどの化合物が有効に働いたのかは不明である。ハーブの調合の複雑さ故に、単一の「有効成分」だけを抽出することができない。使われているハーブ一つ一つの成分をとってみると大したことはなくても、それらが特定の「配置」を取った際に予想外に大きな効果を生み出すことがある。ここに要素還元の限界がある。しかし、要素還元で説明できないからと言ってそれが科学でないと断言してよいのだろうか。同じハーブを使えば同じ結果が得られるという「再現性」は持ち合わせているのだ。科学であるための条件について、どう考えるか。因果関係と神の存在についての話につながる。

アーユルヴェーダの食事療法に断食がある。試そうと思ったことはあるのだが、なかなか実行に移せない。それには個人的な理由がある。筋トレである。はじめは楽しくやっていた筋トレも、続けていると(もちろん楽しいのだが)義務感が出てくる。休むとこれまでやってきた分が無駄になるという恐怖があって、その恐怖によってやめられなくなっている部分が少なからずある。食事に関しても同様で、一日のタンパク質の摂取量を減らさないように、お腹が空いていなくても食べてしまったり、プロテインを必要以上に摂ってしまうこともある。大きくしてきた体が小さくなるのが恐いのだ。別にボディビルダーを目指しているわけではないのに。筋トレは自身の見た目に直結する趣味である。見た目への強いこだわりからくる摂食障害の話はよく聞くだろう。また多くのビルダーが陥る醜形障害も問題である。体のサイズだけでなく、機能の拡張に目を向けることで症状は改善されるだろう。話が脱線した。

パンチャカルマ(身体浄化法)は一週間ほど専門の施設に通い心身をリセットすることが目的である。私は自分が健康だと思っているが、アーユルヴェーダ的にはまだ上の健康を目指せるのかもしれない。自分の体が軽くなって初めて今までの自分の体が重かったことに気づく。体を軽くするとか、頭をスッキリさせるとか言うことには誰でも興味があるだろう。

今回は東西医学の源流、アーユルヴェーダを扱った。初めて名前を聞いた人も、大体どんなものかイメージが掴めたのではないだろうか。感想は色々あると思う。「科学」の明確な定義がないため、科学と非科学に境界線を引くことは不可能である。そして、何を正しいと思うかは結局個人の信仰の問題である。




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