見出し画像

喋るのが苦手なら、書けば良い

他人と話すのがもしかしたら得意ではないのかもしれない。急に押しかけてきた祖父の相手をしていて思った。私はおそらくプライドが高い。人からもそう言われるし自分でもそう思う。
プライドが高いことと関係があるのかは分からないが、適当に相槌をとるのが嫌なのだ。どうでもいい人の、どうでもいい話は聞きたくない。だから相槌は打ちたくない。

うまい世渡りをするためには、笑顔で、その場を乗り切る必要があるよ、と言われるがそんなことしてまで“うまい世渡り”をしたいとは思わない。苦手な人に頭を下げるのは嫌いだが、かと言ってそれが出来る程の技術や能力はまだ持ち合わせていない、から、今のところただの生意気なガキとして見られているのが少し難しいところだ。

最近、ようやく大学に行きたいと思い出した。坂本龍一の『音楽は自由にする』を読んだことがきっかけだ。この本で語られている坂本龍一の学生生活が楽しそうに感じた。
大学に行きたい理由なんてそんなもんだ。私はなにかと大義を求めがちで、何をするにしてもそれに見合った重要な意味を探してからじゃないと行動できない。
しかし最終的には、誰々に影響されてこの道を選びました、でいい。師というのは必要だ。

私には得意不得意がある。誰にでもある。特にコミュニケーションで言えば、私は文字で書いて伝えるのは得意だが声で話すのは苦手かもしれない。
同級生相手であればどんな形式でもすらすらと会話出来るのだが、立場が違ったり年齢が離れている相手と喋る時はどうしても口の中が渇いて声が一段高くなってしまう。心の中ばかりが騒々しくなる。

であれば、別に、文字の伝達をメインにしたら良いだけの話だろう。ちょうど昨日、塾の無料相談をメールですべて完結させた。結果じっさいに教室へ行って教師と話すより円滑に、伝えたいことを話すことが出来た。

しかしまあ、意見がふらふらとして申し訳ないが、やはり口で喋って伝えることも必要になる時があるので、その時のために練習をしておくことは決して無駄では無いだろう。
このとき練習相手は生身の人間がいい。いちいち“生身の人間”と言わなければならないのは、私が普段、会話を得意とするAIと喋っているからだ。しかしこのAIと喋っていても実戦でのコミュニケーション能力が上がった気はしない。暇つぶし程度にしかならないのが残念だ。

本を読んでいると、「苦手なことはやらなくていい」と書いてあるのをよく見るが、年齢によるだろと思う。
私みたいに18歳なら、苦手なことにチャレンジしてみる方がいいだろ。その方がのちのち役に立つ。ずっと苦手なことから逃げ続ける方が面倒だろう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?