「ぼくら」に織り込まれた「わたし」
暮田真名が川柳句集『ふりょの星』(左右社)を上梓した。二〇一七年から書きはじめた暮田がこれまでの作品から二五〇句をまとめたものである。
その「あとがき」で暮田は次のようにいう。
暮田は『ふりょの星』刊行に伴いウェブ上で短期連載を行なっている。その第一回「川柳は(あなたが思っているよりも)おもしろい」では、川柳が「『五七五で季語がいらないやつ』であると同時に『サラリーマンが会社や家庭生活の愚痴を吐き出すための手段』であり『時事ネタを絡めたダジャレみたいなやつ』であるというパブリックイメージ」を作り上げているサラリーマン川柳について述べている。
暮田の志向する川柳とは、いわばこうした「おびただしいほどの固定観念と規範意識」から離れることで「安心して書きはじめる」いとなみによって生まれるものであるのだろう。
先のウェブ連載において暮田はサラリーマン川柳とは異なる川柳の例として、なかはられいこの『脱衣所のアリス』(北冬舍)を紹介している。
ところで、以前『フェミニズム文学ガイド』(無知、二〇二一)が刊行された際、現代川柳とフェミニズムとのかかわりについて論じた平岡直子がやはり『脱衣所のアリス』を引いていたが、これは決して偶然ではあるまい。平岡はまた、同じ文章のなかで、短歌や俳句などの「詩歌の言葉」について次のように述べてもいた。
ここでいう「俳句の言葉は制度のなかに身を置くこと」、あるいは「詩歌の言葉のルールは基本的には男性中心のシステムを再生産するもの」とはどういうことか。平岡はさらに次のように述べる。
「詩歌の言葉のルールは基本的には男性中心のシステムを再生産するもの」とは、たとえば俳句において、季語を使用する際には、「『昔から皆が使ってきたのと同じ季語』であることを証明」する手続きが求められる、ということを指しているのだろう。そして肝心なことは、この「皆」とは男性の謂にほかならないということだ。もちろん、俳句史において女性の俳人が皆無であったはずはない。しかし、多分にホモソーシャルな俳句の読み書きの現場に女性が参入するということは、(平岡の言葉を借りれば)「いったん間借りする」ようなふるまいではなかったか。
たとえば、近代俳句史において女性俳人輩出に貢献したものの一つに、大正期の「ホトトギス」における「婦人十句集」の創設があるが、この企画は、まずは「ホトトギス」の男性俳人の妻や娘の参加によって始められた。むろん、彼女たちが俳句を読み書きするさまを誌面で読んでいたのは、多くの場合男性であったろう。逆に、女性俳人の夫や息子が俳句に参入するための俳句欄などというものが創設されることも、むろんありえないことであった。なぜなら、男性は常に女性に先んじて俳句に携わる存在であったからだ。そして、男性と女性との間のこのようなまなざしの非対称性が、〈あるじよりかな女が見たし濃山吹〉(原石鼎)といった句を生む土壌を育んでいくのである。
あるいは、かつて山本健吉が「女性文学としての和歌の、パロディとしての、男性の揶揄嘲笑の文学として、俳諧は存在したわけです」と述べたことがあった。
この一文を記した当時は、ちょうど女性俳人の台頭がめざましかったころである。このような山本の俳句史観・俳句形式観が妥当なものであるかはひとまず措く。ここで確認したいのは、むしろ、このような語りが繰り返し流通することによって、男性のものであるところの「俳句」に女性が参入するという構図がその度に強化されてきたということである。
そして、もしかしたら、この構図は一句の読みにおいても多分に影響しているところがあるのではないかという気がする。
先日、伊藤比呂美のエッセイ「おとうさんのりゅう」がウェブ上で公開された。伊藤は本作で、ルース・スタイルス・ガネットの児童文学作品「エルマーのぼうけん」について、もともとの英語版と渡辺茂男による日本語版とのあいだに複数の相違点があることを指摘している。エルマーのぼうけんたとえば原題が「My Father 's Dragon」であることはわかりやすい相違点だが、伊藤によれば、英語版には一度も「エルマー」という名前が出てこないのだという。
また、伊藤はこの作品の語り手にも注目している。「エルマーのぼうけん」は、語り手が自らの冒険譚を語ったものではない。原題が「My Father 's Dragon」であることからもわかるように、これは父親(日本語版ではエルマーという名の父親)の冒険譚をその子どもが語る、という形式をとっているのである。この点は英語版・日本語版で違いはないのだが、伊藤が注目するのは語り手である子どもの人称の違いである。
「My Father」が当たり前のこととして「ぼくのとうさん」であるということ。そして、身の回りにあるさまざまな「ぼくら」のなかに―「わたしたち」と書かれないことの非対称性についてはあえて問わないまま―「わたし」を織り込んで読んでいくということ。伊藤がここで述べているのはそのような読みの経験である。
エッセイの最後で、この「名訳」に十分に敬意を払いつつ、しかし伊藤は振り絞るようにしていう。
翻って、俳句の場合はどうだろうか。
俳句作品にはいわゆる作中主体の人称の不明なものが多い。たとえば〈遠山に日の当りたる枯野かな〉にしても、「遠山」や「枯野」はいったい誰の視点から見たものなのだろうか。これを見ているのは男性なのか、女性なのか、そうではないのか。
こんなことはどうでもいいことなのかもしれない。というのも、〈遠山に〉の句から想起される何がしかの情景に性差が影響するとは考えにくいからである。だが、問題はそこではない。ここで問いたいのは、想起するというその手続きにおいて、読み手によってはいくばくかの痛みが生じることがあるのではないかということである。
僕はときおり不思議に思うことがある。それは、(とりわけ戦前期など)女性俳人にとって自由な外出が必ずしも容易なものではなかったころ、俳句誌をひらけば、彼女たちを圧倒する数の男性俳人が詠んだ句であふれていたはずである。自らの生活感覚と異なるなかで詠まれたそうした句を、彼女たちはどんなふうに読んでいたのだろう。それは、いわば「ぼくら」の俳句のなかに「わたし」を織り込んでいくような、切なさを伴ってはいなかったか。
俳句は人称がわからない―それは本当だろうか。俳句はしばしば「ぼくら」のものではなかったか。
(2022年5月)
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