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【特別論考】「人的資源管理は人材をコストと見なし、人的資本経営では投資先と考える」は本当か?

1.人的資源管理をそんなにディスらないで!

人事界隈の方であれば、以下の図表はご存じですよね。人材版伊藤レポートで示されている「変革の方向性」です。
私が以前から違和感を感じているのは上の2つの項目、「人材マネジメントの目的」と「アクション」です。左側の従来(Not this)には「人的資源・管理」「オペレーション志向」「コスト」「人事諸制度の運用・改善が目的」といった表現が並ぶ一方、右側の今後(But this)では「人的資本・価値創造」「投資」「経営戦略から落とし込んで策定」等がキーワードになっています。

出所)人材版伊藤レポート2.0

私自身、人事に四半世紀近く携わってきた立場として、人的資源管理をオペレーション志向の人事諸制度運用だと捉えたことはありません。人的資源管理は経営戦略の具現化に資するものでなくてはならず、人材は投資の対象であると考えてきました(もちろんコストの側面も大きいですが)。この考えに共感いただける人事部門の方も多いと思います。そのため、従来の人的資源管理をこんな風にディスられてしまうと立つ瀬がないというか、何というか。
そこで「人的資源管理は人材をコストと見なし、人的資本経営では投資先と考える  は本当か?」をリサーチクエスチョンとし、いくつかの論文をあたってみました。

【重要な前提】 本論考は人材版伊藤レポートの趣旨や内容全体に反論するものではありません。むしろ、非常に重要なレポートだと思っています。だからこそ逆に、読み込んだ結果として少し違和感のある部分があったということです。その点、前提としてご承知置きください。

2.人的〇〇〇〇と■■■■管理

まず、上林(2012)からの引用文を紹介します。ただし、ある2種類の言葉の一部を私が伏字にしました。人的〇〇〇〇■■■■管理です。この2種類の言葉がいったい何なのか、皆さん、当てるつもりでガチで読んでみてください。

  • 人的〇〇〇〇では、■■■■管理と比べて、全社的な経営戦略との結びつきが強くみられる。

  • ■■■■管理の時代にあっては、企業にとって従業員は、単に与えられた仕事をこなすだけの存在であり、企業がその仕事をこなしたという事実に対し賃金を支払わなければならないことからもっぱらコスト(人件費)として捉えられていた。人的〇〇〇〇のパラダイムでは、もちろん賃金支払いとしての人件費がかかることに変わりはないが、むしろ従業員は、教育訓練投資を十分にかけて学習させ成長させることを通じて、企業にとって莫 大な富をももたらしうる存在であると認識される

  • 人的〇〇〇〇では、人のマネジメントに際して、組織成員を集団的に取り扱うのではなく、従業員個々人に対しフォーカスを当て、個々人の動機づけを考慮しながら組織目的の達成が志向されている

いかがでしょう、人的〇〇〇〇■■■■管理が何か、分かりましたでしょうか? 当記事のリサーチクエスチョンである「人的資源管理は人材をコストと見なし、人的資本経営では投資先と考える  は本当か?」が正しいとすれば、人的〇〇〇〇が人的資本経営、■■■■管理が人的資源管理になるはずですよね。でも、違うんです。人的〇〇〇〇が人的資源管理■■■■管理は人事労務管理なんです。つまり、人的資源管理は経営戦略と強く結びついており、人材を投資の対象と考えている、という文章になっているのです。そしてこれこそ、人事キャリア四半世紀の私にとって極めてシックリくる内容です。

3.人的資本経営とは???

では、人的資本経営とはいったい何なのでしょうか。それを探るため、人的資本について学術的に調べてみました。

まずは経済学から。労働経済学の人的資本論では、1964年に発表されたベッカーの「人的資本」が重要な著作とされています(鈴木 2004)。ベッカーのモデルでは、教育・訓練を長期的に労働者の質を向上させ、所得を上昇させる投資行為と考えます(鈴木 2004)。すなわち、これが人的資本投資であり、教育・訓練がその投資手段になります。また、赤林(2012)でも「人的資本理論は教育や訓練の経済的意義や賃金格差を説明する際に広く用いられる考え方」とされていました。そのため、教育・訓練以外の要素が多々含まれる人的資本経営には、労働経済学の人的資本論が当てはまるとは言えなさそうです。

経済学がダメなら経営学を、ということで経営学の論文も調べました。Ployhart, R. E., Nyberg, A. J., Reilly, G., & Maltarich, M. A. (2014)によると、人的資本すなわちHuman Capitalとは、経済的なアウトカムにつながる個人のKSAOsのサブセット(部分集合)です。KSAOsはKnowledge(知識)、Skills(スキル)、Abilities(能力)、Other characteristics(その他の特性)の頭文字をつなげたものであり、何らかのタスクを遂行するのに安定的に必要または有効なものと定義づけられています。つまり、人的資本は個人に存在するものなのです。ちなみにOECDの資料でも「人的資本は個人の持って生まれた才能や能力と、教育や訓練を通じて身につける技能や知識を合わせたものとして幅広く定義される」といったように個人寄りの定義がされています。で、組織の目的・目標達成に貢献し、かつ組織として活用可能なHuman Capitalのサブセットが、組織としてのHuman Capital Resources、つまり人的資本資源です。ありゃりゃ、人的資本と人的資源が合体してしまいました…。組織メンバーのHuman Capitalが意図的または創発的に組み合わさって、組織全体としてのHuman Capital Resourcesになるといった感じです。このあたりは別のnote記事にまとめてありますので、以下のリンクから参照してみてください。ただ、人的資本と人的資源が合体しちゃってますので、「人的資源管理は人材をコストと見なし、人的資本経営では投資先と考える」は経営学的にも怪しそうです (経営学における人的資本の考え方には諸説ありますので、私がリサーチした範囲においては、です)。
ちなみに、Nyberg, A. J., Moliterno, T. P., Hale, D., & Lepak, D. P. (2014).によると、リソース・ベースド・ビューで超有名なJ.B.バーニー教授も「Human capital is a resource that organizations can leverage to achieve competitive advantage」とBarney(1991)で述べているそうです。「人的資本は (中略) 資源である」。もはや資本でも資源でもどっちでもいいじゃないか、という感じですね。
また、Jiang, K., Lepak, D. P., Hu, J., & Baer, J. C. (2012)には「人的資本は、人的資本への投資に対するリターンが労務コストを上回る場合に、組織業績の中心的なドライバーとなる」とありました。結局のところ、人的資本論でも人材をコストと考える一面があるんです。

4.結論

ここまで紹介した内容に基づき、この記事のリサーチクエスチョンである「人的資源管理は人材をコストと見なし、人的資本経営では投資先と考える  は本当か?」は、経済学的&経営学的に本当であると立証できなかった、というのが現時点の私の結論です。

ちなみに、上記で引用した赤林(2012)には、こうありました。
『日本語で「資源」ということばは別段ポジティブな意味合いをもって使用されることはそう多くない。ただ、英語では resource person というと、キーとなる重要な人物というニュアンスをもつことからもうかがえるように、resource という英単語はポジティブな文脈において使われることが多い』

人材版伊藤レポートにおいては、英語のHuman Resourceには投資先としての意味合いを含んでいることを分かりつつ、上記の文章にあるような日本語の語感に配慮したのかな? 日本企業の経営者に考えが浸透しやすいように人的資源管理を人的資本経営という名称に意図的にラベル替えしたのかな?と私は勝手に想像しています。伊藤先生も伊藤レポート2.0の巻頭言で「叱責されるのを覚悟であえて言えば」とおっしゃってますし。

5.最後に、一番伝えたいこと

繰り返しになりますが、私は人材版伊藤レポートに記載されている内容を否定したい訳ではありません。また、言葉尻を捕らえて、揚げ足取りしたいのでもありません。人材戦略は経営戦略に紐付かなければならないという主張は、全くその通りです。しかし、人事部門がしっかりしている一部の日本企業では、過去20年以上、既にそうすべく取り組んできたんですよね、経営者も巻き込んで。それでも変革と呼べるほどまでには成功しなかったのが悲しいけど現実。戦後昭和時代に形作られた労働法や労働慣習、日本的な雇用システムの元では、個々の企業の頑張りだけでは限界があります。人的資源管理という言葉を人的資本経営に言い換えても、前提条件はほとんど変わっていません。手足を縛られた状態で「これが踊り方の教本です」と国から示されても、生き生きと自由に踊ることはできないんですよね。人材マネジメントの根幹の部分、つまり日本的な雇用システムに大鉈を振るうのが、国に期待されている役割だと思うのですが、いかがでしょうか。失われた30年が、40年、50年、100年にならないためにも。

と、偉そうに論述してみましたが、多くの日本企業が自社の人材マネジメント変革の必要性に迫られているのも事実です。では、どう変革していくのか。以前、日経産業新聞に「働き手に選ばれる企業人事」と題して連載(全20回!)しましたので、興味のある1~2本だけでも参照してみてください。
→”働き手に選ばれる企業人事”で検索いただければ、すぐに見つかると思います。

ではまた!

参考文献:
赤林英夫. (2012). 人的資本理論. 日本労働研究雑誌.
上林憲雄. (2012). 人的資源管理論. 日本労働研究雑誌.
鈴木宏昌. (2004). 人的投資理論と労働経済学-文献サーベイを中心として.
    早稲田商学第401号.
Barney, J. (1991). Firm Resources and Sustained Competitive Advantage.
    Journal of Management, 17(1), 99–120.
Jiang, K., Lepak, D. P., Hu, J., & Baer, J. C. (2012). How Does Human Resource
    Management Influence Organizational Outcomes? A Meta-analytic
    Investigation of Mediating Mechanisms. Academy of Management Journal,
    55(6), 1264–1294.
Nyberg, A. J., Moliterno, T. P., Hale, D., & Lepak, D. P. (2014).
    Resource-Based Perspectives on Unit-Level Human Capital: A Review and
    Integration. Journal of Management, 40(1), 316–346.
Ployhart, R. E., Nyberg, A. J., Reilly, G., & Maltarich, M. A. (2014).
    Human Capital Is Dead; Long Live Human Capital Resources! Journal of
    Management, 40(2), 371–398.

2022年9月5日 初稿作成
2023年11月13日 トップ画像を「人的資本経営」をキーワードとするAI描画イメージに差し替え

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