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vol.013「自分の意見を表明すること:『言いきること』が価値を生む。書いておくと後で還ってくる。」

たまたま、とあるディスカッションで、「自分の意見を、言う人と言わない人がいる」という話題になりました。
相手の方も私も「意見を言う人」だった。だけど、アプローチ方法はそれぞれの形(違い)があり、大きな示唆を得た。

「意見を表明する」ってどういうこと?人生にどんな影響があるんだろう? 私の例でいうとどんな取り組みをしてきたか?
といった話を書き留めておきます。


■意見を言うか言わないか問題


ディスカッションを後で思い返して整理できた、私の傾向は以下のようなものだ。
 
・自分の意見は言うほう。「角が立つ」という理由(だけ)で、言わずに見送ることはしない。
・他者に対しても「思ってることがあれば言えばいいのに」と考えるほう。「意見を言ってない人、発言してください」と水を向けたがるほう。
・水を向けるが、ある時点で、「意見を言いたくないのならいいや」と、面倒くさくなって見切りがちである。
 
相手の方は「意見を言う言わないも含めて各々の選択。自身は前へ進む」というスタンスだった(※推測含む)。
 
他方で、意見を言わない人の心理は、
「相手との関係が/場の雰囲気が、悪くなるかも」
「先頭を切って言うのはちょっと気が引ける」
「反対意見を言われることで傷つきたくない」
「その場の空気や価値観が合わず、言う意欲が起きない」
等など、さまざまだと思われる。
 
これらの感情は私にも起きるから、心理はよく理解できる。わかるが苛立ちを感じて、突き放す(あきらめる)こともある。
 
ともかく、「意見を言う人」の、「意見を言わない人」へのスタンスは、人それぞれ違いが出る。
今回の例で端的にいうと、他者に対する鷹揚さ(寛大さ)、自身に対するブレなさの差が、スタンスの違いを生んでいるのかな、と考えた。

■意見を言われたとき


意見を言われる側に立ったときはどうだろうか。
 
大前提として、
「なにかを成し遂げようとしたら、反対意見は出るもの。ぜんぶ聞いてはいられない。周囲との距離を保つことも必要」
と考えている。
すべてを同時に手に入れることはできない、捨てるものが出てくるよ、という当たり前の話だ。
 
・人づきあい(例:飲み会のお誘いを断る)と引き換えに、時間や資源を集中することで得られるものがあった
・誰もやりたがらないことを引き受けていると、そのうち面白がってくれる応援者(スポンサー、PTA)があらわれて助けてくれた
といったことも、この事象だ。
 
「皆から好かれる」ということは起こり得ない。「誰からも嫌われない」または「誰とも仲良くする」は「何もしていない・選択してない」に等しい。
基本的には、(1) 角が立つのを避けて止まる (2) 嫌われてでも進む の二択でしかない。※三つめの選択肢、「誰からも嫌われず、しかも前に進む」があるのかどうかは、まだ答えが出てない。
 
そして批判される側と、批判する側とでは前者のほうがつねに運動量が多い
・後者=人を揶揄する/指摘するほうが簡単で、効率が良い。成功率が高い。後出しジャンケンだから。
・前者=批判される側、行動する側はつねに、効率が悪い。成功率が低い。先攻だから。
 
守備に徹するなら、なるべく新たな行動を起こさず、変化をつけないほうがいい。野球に例えると「打率と安打数、どちらを重視するか」の問題だ。
 
前者=行動する側 を取る場合、「リスクを取っていない評論家の言うことは聞かなくていい」と考えることで、すこしは気が楽になる。

話の合う(と自分が思ってる)人、有益な関係を築いている相手を想い起すと、「ときには波風を立ててでも、目標に向かって戦う人」「弱みで悩むより、強みを活かそうと苦闘している人」が多いように思う。
 
※追記:棚卸ししてみると、「自分の意見を表明したほうがいいよ」と言いながら同時に「人の意見は聞かなくて(も)いいよ」と言ってて、勝手といえば勝手なことを述べている。

 

■「自分の意見で生きていこう」

 
社会派ブロガー ちきりんさんの新著『自分の意見で生きていこう』(ダイヤモンド社)にこんなことが書かれている。
 
1.自分で考えよう
・誰かの意見ではなく【自分の】意見を明確にするために「考え尽くす」。その意思・経験・練習を積もう。
・「正しいか間違いか」ではなく「自分の意見かどうか」。正解は「調べるもの」、意見は「考えるもの」だ。
2.自ら発信しよう
・意見を言わない・議論しないのは「フリーライド」。そのコミュニティにとって存在価値がない
・ネット上に自分の思考を発信しないのは、職歴や学歴を持たないのと同じくらいに不利になる。
3.自身で決めよう
・リーダーシップの第一歩は自分の意見を持つこと。「自己決定」がオリジナルの人生をつくる。
(以上、勝手に要約)
 
 
過去の既刊もそうだけど、
「お買い得である=価格 vs 手に入る視点 のコスパがめちゃくちゃ高い」
という点で、ちきりんさんは最高級の著者だと思う。
  
三つの切り口を、自身に置き換えて、検証してみた。

■自分の意見で生きているか、点検結果


自身に置き換えてみると:
 
1.「自分で考える、誰かのでなく自分の意見を言う」
 
◯ 考える、自分の思考を追う・反芻する、ということ自体は昔からやっていて、習慣化している。歩いているとき、電車のなかで、考えるか、口のなかで無音で喋ったりしている。
△ 断定よりも、質問の形を取ることがある。または相手の意見を先に知ってから後攻で意思表示することが多い。
△ 「最初にポジションを決める」は明示的に意識したことがなかった。「意見(結論)」よりも「思考(過程)」を意識しているのだと思われる。
 
◯ 長年考えているテーマ、興味関心が強いお題。つまり、資源を多く投入しているテーマでは、自分の意見をはっきり持っている。
△ 自分が尊敬する人の見解・発信内容・価値観の影響を受けやすい。
 
 
2.「ネット上に自分の思考を発信する」
 
◯ 質:SNSでの定期的な投稿を始めるとき、最初におよその方針を整理した。①本業の内容には触れない(守秘義務)、②愚痴と陰口は書かない、③単に「飲んだ」「美味しかった」でなく「自分が考えたこと」を付加する、の3点だ。
◯ 量:6年で約2,000件の投稿をしている。「総量」はさほど劣ってない。「期間」はもっとほしい。
 
◯ 環境:Facebook友達の内訳:本業関連4分の1、それ以外が4分の3。「弱いつながり理論(故・瀧本哲史さん)」を信奉してるから、「ネット上=現業(会社)以外、に対して自分の思考を発信している係数 0.75だ」と考えると悪くない数字だ。
◯ 実験:氏素性を詳しく開示せず、宣伝せずにサブブログを書いている(=このnote)。「背景なしで自分の発信していることがどのぐらい誰かのアンテナに引っかかるか(世の中に通じるか)」という実験だ。
 
△ 共通:ほとんどの内容は本当にとがったこと、波風の立つことは書いていない。「自分の意見」を100%踏み込んで発信してない。
 
 
3.「自分の人生を自分自身で決定する」
 
△ワークでは、他者の意見に影響をうけている。対人関係、摩擦回避を重視して、穏便に済まそうとする、下手(したて)に出ることが多い。
◯ライフ(プライベート)ではやっているほうだ。良しあしはさておき、人生の重要な決定を、誰かに相談したことがほぼない。
 
  
まとめると、
 
◯ 同書の結論のひとつである、「オリジナルの人生のキーワードは自己決定」は、ある程度できている
 
「リーダーシップ」はさほど発揮していない。他者に関わり続けることがどちらかといえば面倒くさいほうだし、趣味・道楽も個人でやる形のものがほとんどだ。
 
「自分の思考を発信する」は 一定の質と量 で実践できている
  
とは言える。

■できていること、できていないこと


「発信する」という行為は、超一流に登りつめる必要がなく、著名人と張り合うものでもない。
 
・世の中の平均よりはある程度、上位にいること(発信している質、またはノイズの少なさ)
・ある時点でカウントしたとき、簡単に追いつかれない量(投稿のログ)があること

 
のほうがずっと重要だと考えている。
 
Facebook、noteで、いいね!やスキの数を(あまり)気にせずに投稿を続けているのは、そのためだ。
 
一方、「自分以外の他者に、思考の結果をぶつけて、投げ出さずに働きかけ続ける」は課題のひとつ。
 
ちきりんさんの
『自分も考えて意見をぶつけ合うのが「めんどくさい」というなら、コミュニティは成立しない。タダ乗り、寄生者だ』
というくだりに、うなずきもし、ドキリともさせられた。
 
ここでいうコミュニティとは、

・たとえば家庭のことだ。ファイナンシャルプランだったり育児のことを、一方が考えるのを放棄して、パートナーに「任せるよ」の(一見理解がある、寛容であるという)スタンスを取ること。
・たとえば会社のことだ。出席している会議で、一言も発言しないことだ。もしくは誰かの意見への評論、「ダメな点」の指摘、「やらない理由」の列挙に終始する姿勢。
・たとえば有志の勉強する場のことだ。リスクを取って自分の意見を言わない。思っていて意見を出さず、「実は私もそう思っていました」と後で言うこと。

といったことを指す。
 
「タダ乗り、寄生者だ」は、本当に、ほんとにそのとおりだ。(注記:自分向けに言い聞かせてます)


■「言いきること」が価値を生む


すこし前、尊敬する師の一人の還暦お祝いメッセージをSNSに投稿したところ、Voicyで取り上げられ、全文読み上げていただく、という出来事があった。
情報発信・セミナーや講演のプロフェッショナルの声に乗ると、内容が3ランクぐらいグレードアップして聞こえたけど、それを差し引いても、リスナーの皆さんの反響が厚く、好意的なものが多い。
 
発信する練習を続けてきて、すこしは人に読まれる/聴かれることを書けている、というのもあるだろうけど、 
自分の頭で考えたことを、整理して(伝わるようにカテゴリ分類して)、言い切っている」 
からだと思いあたった。

 

■書き出しておくと、あとで自分に還ってくる


「考えたことを頭の中にとどめず、書く。見えるようにする」ことは、まちがいなく効果がある。
 
理解が深まる効果:
「意見を言う」の前段で、「書き出すことで考えを整理できる」効果がある。「話すことで自分でも理解が深まる」現象も同じで、オートクライン(autocrine、オートクリン。自己分泌)という呼び名があるらしい。
①お金がかからず、②自己完結できるから、コスト対効果がとても大きい。世の中にいろんな"ハック"がある中でも、利用したほうがいい最上位にくると思ってる。
 
読み返せる効果
日記なり手帳に、そのとき考えたことを書き留めておく。翌日読み返す。「ああ、やっぱり夜は変なこと考えるな」と思う。数か月後、数年後に読み返す。「このときはこんなふうに考えてたんだ」と振り返る。
 
Facebookの「思い出機能」では1年前、2年前、n年前の投稿が表示される。後者の効果に加えて、編集することで考えを継ぎ足し/更新することもできる。
自身のコンテンツとして(例えばnote記事の元ネタ集として)再利用できるから、とても便利な機能だ。

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考える練習、書く/話す練習、言い切る練習は、やったほうが有利だ。
やめると能力が低下して、そのぶん人生のリスクが高まる。

だから、続けていこうと思っています。

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