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自分のために頑張って疲れたときの洗い物の効用

自分のために生きていても、達成感が全く得られない期間が定期的に来る。多分ずっと自分に矢印が向いているせいで、頑張れていないと思ってしまう時間も鮮明になってしまうからだ。

そんなとき、実家暮らしで7人家族の私は洗い物をする。洗い物はいい。家事はいい。家族のための家事をすると、小さいことだが他人のために何かやれていると思えるし、母親はこれを毎日やってくれているのに、ありがとうとまで言ってもらえる。

私が家事の中で特に洗い物がいいと思う理由は3つある。

先述の通り家族が多いので、順序立ててやらないとシンクも調理台もいっぱいになってしまって洗うことができない。だから洗い物を始める前にゴミを捨てて、食器類を分類するのだが、これが私には頭の整理になって気持ちがいい。事前に順番を決めてその通りにことが進むと、小さいタスクをこなせているという成功体験が積み上がっていく感じがする。意外とやることが多いので考え事をしなくて済んだりもする。洗い物カゴがないので、今は調子が悪くて買い替える前の食洗機がカゴ代わり。そこに順序よく、効率よく洗い終わった食器たちを並べていくのも整頓されていて気持ちがいい。

手の感覚がはっきりするのもいい。荒れやすいので絶対ゴム手袋などをするべきなのだが、私は直接触ってキュッと音がするか確かめながらやるのが好きだ。手の感覚を頼りに、食器が綺麗になっていくのは楽しい。頑固な汚れがお湯と洗剤につけておくとふやけて落ちてくれるのにもそこはかとない心地よさがある。

最後に、終わった後が完全に綺麗な状態になるのがいい。料理は作って終わりではなく、それこそ洗い物が待ち受けていると思うととても憂鬱になってしまう。あと5〜7人分のご飯を美味しく作るのはまだハードルが高すぎる。メニューを×人数分すればいいってわけではないから。洗い物が終わって、残ったおかずにラップをして、調理台をかたく絞った布巾でピカピカにする。

自分のために頑張るのは結構限界があって、そればかりでは疲れてどよーんとしてしまう日がある。そんな日に、小さいけど家事を手伝う。ありがとうと言ってもらえる。毎日やれよと言われればごもっともすぎて何も言えないけど、そういう積み重ねが今の自分を掬い取ってくれている。小さいけど他人のために何かできているかもと思えることを、ライフハックとして増やしていきたい。

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