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息子に対する親としてのスタンス

今日のまついさんの記事はまた子育てに参考になる記事だった。

この記事にインスパイアされ、色々思ったことが溢れたので書き記しておく。
この記事は「子供の事は分かっており、子供の成功について良かれと思ってアドバイスしてきたり、頭ごなしに怒ったり、自らの満たされなかった想いを子供を通じて代理戦争の様に戦う親」に釘を刺す内容だ。
どれも的確な指摘で、7歳の息子を育てる親として強く思い知っておいた方が良い事ばかりだ。

親が余計な事をしないほうが良い。それは確かにそうだ。しかしそうはいっても親として子を育てる立場になると、やはり良かれと思って色々やらない訳には行かない。
「やらない」も、「何もやらない」を「やる」って事だし。

ということで、功を奏しているかどうかは分からんが、親として俺が息子になにかを「やる、言う」をする時に、考えていることを書き出してみた。
プラスかマイナスか、教師か反面教師かは時が答えを出してくれるだろう。

一人の変わった大人として興味を持たれたい

若き頃、人生に悩み、人は何故生きているか?働かなきゃならんのか?人はなぜ嘘をつくのか?嘘をどう見破れば良いのか、ウソとホントの境はあるのか?大人はなぜ嘘をつくのか?等など、割と重た目のなぜなぜ疑問を親や親戚にぶつける事はあったが、まともな質問として聞いてもらえた記憶がない。今振り返ってもこれらは全てしょうもない質問ではまったくなく、真摯に向き合って考えてくれる大人がいてくれても良かったとは思う。
こういう疑問を真剣に考えるのは思春期の若者だ。この手のマジな質問に逃げずに対峙するには受け手側の大人にも経験か思考力かは分からんが、「キャパシティ」が必要だ。
こういうキャパのある大人はそうありふれてはおらず、レアキャラであることは間違いない。
僕は息子が大きくなった時、どんな質問をぶつけられても、intersting。。と興味を持って話を聞けるキャパのある大人でありたいと思っている。
その辺にいるアホな大人とはちょっと違う、変わった意見だが嘘は言わない変な人として位置づけられたい。
ただ、ポーズでそれをやっても見破られるだろうから、普段から嘘なく話し、聴くを続けるだけなのだ。

基本はすべて押し付けである

息子には英語をツールとして身につけて欲しいと考えて、英語だけは環境を作って意識的にトレーニングしている。これは「よかれと思って」やっている。
もちろん「押し付けにならないよう」、「楽しさを織り込む」等意識していることはあるが、「押し付け」と「押しつけでない」境目などない。押し付けでなければ全て功を奏する訳でもない。
「押し付けていないから正しいのだ」という様なナイーブな考えは、自らを思い上がらせ、大人に抵抗できない子供の無力さに鈍感になる悪い効果しかない。なので全ては押し付けであると理解することにしている。
本当にそう思っている。

環境は重要だ

何をやらせるにしても、自分のエンジンで動かなければ始まらない。気づいて、発見し、工夫しようとなったらしめたものだ。なので押し付けて短期的にやらせても意味はない。
とはいっても環境の整備は重要だと考えている。英語がある環境。コンピューターがある環境。自然に触れる機会が多い環境。食卓で毎日言葉を交わす環境。親が本を読み、本が家にある環境などなど。
強制しなくても環境から pick するものの多さは計り知れない。

ごまかしはきかない

しかし、では環境が大事だからと無理をして背伸びをして環境を整えても、それが家族の本来的な自然さに根ざしてなければリバウンドするだろう。
あるいは無理が災いして、子供に見抜かれ、反面教師として刻み込まれるだろう。
良い格好しようとしても、所詮は子供の濁りなき眼の感受力の前に無力だ。
こどもは「こう見て欲しい、こう有りたい」という親の願望ではなく、親の存在の仕方、行動、表情からより多くを吸収する。
だからごまかせるなどという甘えた期待は捨てて、等身大で接している。
等身大にしてはまあまあ頑張っていると思うし、息子も優しいので相手をしてくれている。これからもよろしく。

同じ階段の段にいるかどうか?

子供によって何が得意かは異なる。特定の運動を一発目でできる天性の運動神経を備えている子供もいる。遺伝かもしれない。プラスアルファでもっと小さい2,3歳の頃から外でアクティブに運動する家族だったという環境的な要因があるかもしれない。
俺の息子の英語力も毎日のプロセスを知らずに、結果だけを見た人からすると天才的だろう。得意不得意や、花開くタイミングは人それぞれ、しかし親はよく人と比べる。
俺の奥さんもよくやっていた。「XXさんの子供はYYをやっていてZZらしい。XX君は逆上がりができるけど、息子はYYで運動神経が無い」といった様に。
俺も奥さんも、自分が子供の頃に、親から「なんでこんな簡単な事ができないんだ」とか「XXXちゃんは出来てるのにYYYちゃんは何度いってもなんで出来ないの?」とか上から目線で言われてきたはずだ。
俺も息子にそれをやってしまうことは数知れずある。
しかしだ、そういうコミュニケーションは息子の役に立たない。悔しさや無力感を植え付ける効果はあろうが、それは親の俺達が望むことではないだろう。

大人である俺達は、階段で言うと息子がいる段よりも数段上のところにいる。例えば息子が1段目にいるとすれば、自分達は10段目にいる訳だ。
10段目にいながら、「お前はまだ1段目にいるの?YYちゃんは5段目にいるのに」とか言って、それが功を奏すると思っているのはアホである。

自分が一段目に降りれないのであれば黙っている方がマシだ。同じ段に降りて、次の段にどうやって登ろうかと戦略を一緒に考えたり、コケてもいいからやってみろと足を出す時の心理的ハードルを下げたり、2段目に登るところをデモンストレーションしてヒントを与えたりとか。。そういうのが役に立つ。自ら高みにいながら下の段のものを嘆くのは自己満足の未熟者のアホのやることである。

学校なんて面白くない。

最近小学2年生が始まり、学校の授業がデフォルト5時間になった。
「学校は友達作るとことかいっといて、授業ばっかりでほとんど遊ぶ時間ないし、帰ってきたら自由な時間がすくなくなってるし。」とか言って新しい授業時間の増加に不満なようだ。
ホンマ、心から同意するよ。「遊ぶ時間と授業はんぶんはんぶんやったらいいのになー。俺もそう思うわ」と答えた。

大人は子供よりもアホが多い。

大人は知識はたくさん増えていくが、どう見ても子供よりも質がわるいアホが多い。と俺は思う。
「いじめをするな」とか教えるけど、大人は色々な方法で弱いものをいじめている。
喧嘩をするな、仲直りしろ、みんな仲良く、とか言ってるけどTwitterでも国と国でも、いろんな所で喧嘩しているし、自分と意見が違う人をレッテル張って互いに馬鹿にしあっている。自然を大切にとか言いながら大人は余裕で破壊しまくりだ。自分が出来ないことを口だけで教えようとしてくる大人の話を、鵜呑みにする必要なんてまったくない。
俺は息子には大人はアホなやつが多い。と時々言う。本当にそう思っている。知識を積み上げる事がアホでなくなると思っている大人が多い気がする。

まついさんの記事おすすめ

まついさんのメルマガは子育てに役立つものも結構ある。
過去に遡るともっとあると思うが、割と最近のものでおすすめを3つ上げておく。
僕は奥さんと子育てについて話し合う材料としてもこれらの note を大いに活用させてもらっている。同じ本を一冊読んで話し合うのはハードルが高いが、これらの記事を一つ読んで、話し合うのは出来るし。

↓ おかね。。。おかねをください。