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自分の幸せのために生きられていると胸を張って言える人生を生きていますか?

ベネッセ ウェルビーイングLab
noteとのコラボ企画
「#ウェルビーイングのために」に応募。
動画に文章の一部を取り上げていただきました。
(動画1分2秒地点の文章)

         🐻🐻🐻

T&Sです。
今回は全ての人の人生の最重要課題について投稿します。

私が考える人生の幸せとは自分の幸せのために生きて、生を終える時に心の底から本当に幸せで最高だったと思える生き方をすることです。
誰かのせいにしたり、自己犠牲して自分をごまかしたりすることなく、良くも悪くも自分の幸せに自分で責任を取ることです。

皆さんは今、幸せですか?
自分の人生に疑問が生まれていないですか?
何か楽しくないな。こんなはずじゃなかったのにな。
何か変化を起こしたいな、何か変えたいな。
希望も何もないな。
このような感情が生まれていないですか。

もし、そうならばこれまでの人生を自分の幸せのために生きてきたと自信を持って言えますか?
この答えがNOならばその原因は間違いなくここにあります。

わたしの経験からですが「自己犠牲で働きすぎてしまう人」「自分を押し殺して自分の幸せ度外視で頑張りすぎてしまう人」「期待に応えることに依存しすぎてしまう人」を数多く見てきました。
どの人にも共通して言えたのは自分の幸せに繋がる目的や目標を何一つ持っていないことでした。
あったとしても上司や会社に植え付けられた他人軸な目標があるくらいでした。
そのことを聞く度に私は思っていました。
この人たちは一体どうやって幸せになるつもりなんだろうか。
幸せになれるルートが見えていない状態で働くとは不安でいっぱいなんじゃないだろうか。
こんな世界が当たり前になっている今の世の中は大問題なんじゃないだろうかと。

わたしがこのように感じるようになったのは父の影響が大きいように思います。

わたしの父は7年ほど前に過労をきっかけに肺炎で亡くなっています。
父はそれこそ自己犠牲で自分を押し殺して尽くすタイプの人でした。
子供4人のために本当に頑張って働いてくれて養ってくれ、少ない休みの日も家族のために時間を作ってくれて素晴らしい父でした。
父には本当に感謝していますし、誰にでも出来ることではなく心から尊敬しています。

ですが息子の目線で言うと、ただ生きていてほしかった。
母と最期まで長く生き続けて欲しかった。
もっと父と色んな話をしたかった。色んな相談もしたかった。
そして最も思うのは父自身が最高に幸せだったのだろうか。
父の人生における希望はなんだったのだろうか。
少なくとも言えるのは息子の結婚式に立ち会えずに亡くなって心残りがない親なんていないということでした。

私の願いは全ての人に自分の幸せのために生ききって欲しいということです。
自己犠牲までされて嬉しい人なんていません。
少なくとも家族は望んでいません。
今、頑張りすぎているならばすぐにでもそれを見直して欲しいです。
そして自分の希望にそって人生を始めて欲しいです。

こんなことを言うのは自分のただのワガママですが、わたしは父にできなかった分を母はもちろんですが母以外の社会にいる人にも自分の幸せのために生きられるようにして満足しきる人生を生きて欲しいと願って活動を行っています。

皆さんどうか自分の幸せというのを甘くみないでください。
自分の幸せのために生きるなんて自分勝手だとも思わなくていいです。
誰かのために生きるなんて思わなくてもいいです。
自分の幸せなくして誰かに幸せを届けることは出来ませんし、一人一人が自分の幸せに生ききることが出来れば必ず全ての人が幸せになります。

#ウェルビーイングのために

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