わたしの感想はわたしのものだから
前々から思っていたことがあります。
例えば素敵な記事をインターネットで見つけたとします。わたしはそれに感動してツイッターで「とっても心が洗われた気がする」なんてURL付きでつぶやきました。するとその書き手の人や記事を運営している人や公式がリツイートする。そんなことが、ツイッター上ではよくあります。
でもわたし、それをやられるのがすごくすごく苦手なんですよね。
これって本当によくあることなのだと思うし感想をもらってうれしくて広めたくなる気持ちもわかるのですが、どうしても苦手。たぶんそう感じているのは少数派なんだろうと思いながらも、この苦手の正体をちょっと考えてみることにしました。
多くの人に見られたいわけではない
ツイッターをはじめSNSは繋がりをつくるきっかけになるものです。そうやって使うことが是とされている雰囲気だし、つぶやきを公開している以上だれに見られてもだれにリツイートされても返信されても咎めることはできません。
でも、例えば素敵な記事の感想をわたしは公式に見つかってほしいがために書いているわけではないんです。自分のフォロワーさんや考え方が似ている人とゆるく共感しあえたらいいなあと思っているからわざわざ鍵をかけることもせずにツイッターをしています。
もちろん公式に見つけてもらって広がる世界もあるかもしれないけれど、フォロワー数の多い公式にリツイートされたことで不特定多数の人にさらされることが、こじんまりとインターネットを楽しんでいるわたしには正直恐怖に感じられるんです。
わたしは感想を呟いただけなのに
そう、わたしは純粋に感想をぽつりとつぶやきたかっただけなのに、それが意図せずある種の宣伝材料のように使われて多くの人の目にさらされることが、感覚的に受け入れられないと感じています。
公開しているアカウントでつぶやいているんだから、書き手の人や運営元や知らない人に見られることはもちろんあること。それは全然いいんです。でも、それを書き手や運営にリツイートされたりさらされたりすることが、さも自分の成果を見てほしいと言わんばかりのリツイートが、どうも違和感だなあと思ってしまうんですよね。
わたしの感想、もしかして利用されてる……? という不信感も芽生えます。
わたしの感想はわたしのものだから
以上のことから、わたしは公式に取り上げられたいとき以外は記事や製品の感想を呟くことをやめました。呟くときは、エゴサに引っかからないように呟いています。(※よく思わなかったことをわざわざ呟こうとは思っていないので、呟くのは基本的によかった話しかしてないです。)
わたしもメディア運営のお仕事をしているので、メディアや伝えたい製品を知ってもらいたい気持ちも、その方法としてエゴサしてリツイートする手段があることも知っています。
でも、例えるなら自分の手掛けた花であっても、人の庭を勝手に宣伝に使っていいとは思えないんです。たとえその花を育てた人であっても。花は、すでに他の人の庭にあるものだから。
わたしの感想はわたしのものであって何人もこれを侵さないでほしいなって、思ってるんだなと書いていて感じました。そしてWebメディアの端っこで仕事をする身として、常に頭に置くようにもしています。
距離感って難しいけれど、だれかの「好きだな」という気持ちを当の本人が折ってしまわないようにわたしはちょっと気をつけたいと改めて思いました。
この感覚が全然わからないと感じる方もいると思うのですが、まあそういう変なやつもいるんだなあって静かに思ってもらえたらうれしいです。
読んでもらえてうれしいです!とにかくありがとうと伝えたい!