1982DAYTONA本番レース

いよいよ日曜日の200マイルレース本番を迎えヒートレースを終えたヨシムラR&Dのメンバーもやっと手が空いて手伝ってくれるようになりましたが基本変わらず(笑)

でも時間は待ってくれません。
なんとか無事にスタートの時間を迎えることができました。
クーリーは勿論第一ウェーブスタート、エンジンの調子も良く結果に期待が持てました。バンクの最上段を駆け抜け先頭集団で周回を重ねレースの半ばのガソリン給油作業にむけサポートをお願いしたクーリーのお父さん(!)と給油の段取りの確認を何回も行いいよいよピットイン!で、さぁ来るぞ!と身構えていると予定どおり入ってこない!?何が起きたか確認に走ろうとしたその時『34番クーリーがストップ!!』と非情な場内アナウンスが響きわたりました。
それまで必死に頑張ってくれたオヤジさんと作り上げたGS1000Rのエンジンが息の根を止めたのです。
ここで初飛行機初海外初単独出張の1982年3月のDAYTONAが終わりました。この仕事をするうえでターニングポイントがいくつかありましたがこの出張も間違いなく大きなターニングポイントの一つになりました。

このエンジントラブルの原因を突き止め対応策を考え夏の8耐に間に合わせなくてはなりません。78年80年と勝っているので82年はヨシムラが勝つ番!と気合いが入り帰りの飛行機でもその事で頭がいっぱいの春でした。

DAYTONAにはこの後87年95年96年とテストを含め4回行く機会に恵まれましたがそれぞれのライダー(クーリー、ケビンシュワンツ、辻本聡、スコットラッセル)共々思い出深い記憶として残っています。

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