1982DAYTONAレース前

デイトナスピードウェイに行っても基本一人整備!気合い入りまくり!
送り出してくれたオヤジさんのためにもがんばらねば!

サーキット内の扉の無いトイレもなんのその。郷に入れば郷に従え!!
ヨシムラR/Dの定宿DAYTONA近くのホリデーインでの部屋がまたしても不二雄社長と同室でエキストラベッドで寝かされてもまったく動じす状態でしたがレース前に一番緊張したのが車検でした。

画像は1987年のものですが1982年のこの年もこの検査台に乗せないとマシンをみてくれません。マシンは準スプリント仕様とはいえ油冷より格段に重いGS1000R。…を一人で・・。
失敗したら………
プレッシャー(笑)
覚悟を決めて気合い一発!結果は無事成功!車検もOK。
第一関門はなんとか突破!

次は走行時間に合わせてタイヤサービスとのやり取りに行ったり来たり。当時からアメリカでのヨシムラの知名度は抜群でケニーのタイヤはああだこうだと話してくれるのですが何しろ時間がない!
そうしたらなんと助っ人が現れました。日本のモリワキENGにニュージーランドから研修に来ていて顔見知りだったM君がたまたま(?)DAYTONAに来ていてサポートしてくれることになりました。タイヤ運び等の外回りを担当してくれてこれはだいぶ助かりました。
後は、走行スケジュールです。
日本だったら事前にスケジュール表とかを壁に貼ったりして情報を共有するのですが・・無い!
誰も教えてくれないのでこうなったら場内放送しか頼るものはなく整備しながら耳👂はダンボ状態で流れを把握することに。
今だ!というときにマシンを押してピット&コースに向かう日々でした。一応一回もスルーすることはなく全走行枠は走ることができました。
ということでアップアップ状態でやれることは限られていましたが幸いクーリーは転倒もなく大きなセッティング変更も要求してこなかったので助かりました。
そしてあっという間に本番の200マイルレースを迎えることになります。

1987時の車検風景

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