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はじめての推しごと記 完結編~そのジャーマンスープレックスは栄光の架橋~

2019年8月にこんなnoteを書きました。

そしてその年の年末、引退の発表がありました。

2020年9月18日をもって彼女は引退しました。世界的なコロナ禍に多くの影響を受けながらも、そのプロレス生涯に幕を下ろした選手について感想を書いていきます。

凱旋興行後のコロナウィルスによる影響

2020年2月、地元新潟での凱旋興行が無事開催されました。
しかしこの後、コロナウィルスの感染拡大と重症患者の増加により、世界的にエンタメ界隈に対する規制が強くなりました。

当然プロレス界も影響を受け、特に3月中旬以降は興行数を絞らざるを得ない状況に。引退ロードの真っただ中にもかかわらず試合ができない、それも不可抗力で解決することもできない。かつてここまで悲劇的な最後を迎えようという選手がいたか、という状況でした。

未曾有の状況に置かれたプロレス界において、HIRO'eという選手は「苦しい状況でも悲観的にならない」という信念を掲げ、前向きに笑顔で振る舞いました。
立て続けに先輩が引退や退団していき、悲しさ・寂しさから泣いているシーンがとても多かったあの選手が、自らの進退を決めた信念を基に強く立っていたのです。

世界的な混乱のなか、ファンとしても極度に悲観的にならずに、きっとどうにかなると待ち続ける。そんな気持ちを持たせられるくらいに、人間的に成長を重ねていたことを感じさせられました。

再開とウィルスの魔の手

6月下旬、コロナウィルスの感染拡大を最小限に抑える施策実施を前提に、プロレス界も再始動の動きが出始めました。

失ってしまった3か月は、本来なら思い入れのある選手と引退ロードでの試合を重ねられたはずの3か月。できることは、残りの期間でいかに濃い引退ロードにできるかでした。

持ち前の人当たりの良さが発揮され、これまでお世話になった各団体からのオファー、選手からのラブコールで充実した引退ロードに。ある意味で失われた期間を埋めるべく、関係者全員が必死に動いた結果であると思います。

しかし、魔の手は望まぬ形で訪れるもの。

もはや誰がいつ、どんな経路で感染してもおかしくない状況のなか、女子プロレス界初となるPCR検査陽性者が。十二分に体調に配慮していた選手ですら感染してしまう事態に。

引退試合を含む3大会の中止が発表され、誰を責めることもできない、そしてしっかりとした形で引退できるのかすらわからない、不穏な空気に呑まれました。

しかし不屈のプロレスラー、ただでは転ばない。

延びた「1か月」

引退ロードを1か月延長、改めて引退興行を開催することに。この1か月、悲観的に捉えればコロナに振り回されただけ。しかし、プロレスにドラマは付き物、様々な出会いが生まれます。

本来すれ違うはずの入門生と同じリングで。

交わらないまま引退を迎えるはずだった先輩との試合、ファンとして見に行くはずだった大会に選手として出場。

復帰する前に引退するはずだった選手との試合。

彼女が持っている人徳なのか、不幸が重なっても災い転じて福となす。悲しい空気を悲しいまま終わらせない不思議な力が働いているようでした。

プロレスとは、生き様の体現。プロレスラーHIRO'eの生き様は、「人を愛し、人に愛される」。そんなプロレスラーであり人間である、そう感じさせられた1か月でした。

引退

終わりはいつか来るもの。9月18日に無事引退興行が開催。

紙テープの投てき禁止、横断幕の掲示禁止、大声での応援禁止。
withコロナ時代における引退の在り方を探る、だれも経験したことのない舞台で最後を迎えることになりました。

女子プロレスにおける引退の華、紙テープが使用できないので、サイリウムを使用しての引退セレモニー。ある意味、紙テープよりも多くの方に協力がいただける方法かなと思います。

未だかつてない状況の中、最高の笑顔を見せ引退していきました。選手もファンも忘れることのない1日でしょう。

個人の感想と思い

ここまでは起きたことの時系列順の説明でした。ここからは私個人の私見を書いていきます。

・引退そのものに対して
次の夢に向かうための引退とあって、悲観的になりすぎずにいられたと思います。
一方で、引退の数日前から極度のストレスに起因する諸々の体調不良を起こしていたので、まったく気にしないということは無かったようです。
そしてそのストレスというのも、「これまで会おうと思えば会場やバーに行けばいい」という環境が無くなってしまうことに対してと考えています。

・引退興行の感想
コロナ禍の中にあって、取りうるべき手段のうちベターなセレモニーになったと思います。
カメラを握っている身としては、紙テープのように慌てふためくこともなく対応できるので、余裕をもって写真を撮れるという面ではメリットと思います。

・引退試合の感想
HIRO'e、そして長浜浩江という選手を語るうえで欠かすことのできない選手、技がつまった素敵な試合でした。
「プロレスの華はグラウンドと投げ」が持論の私にとって、引退試合におけるバックドロップ、サクラ落とし、ノーザンライトスープレックス、ジャーマンスープレックスホールドは、どれも思い入れの大きい素晴らしい技でした。

なにより、最後に繰り出した脳天真っ逆さまのジャーマンスープレックスホールドは、世界一美しく説得力のあるフォームで、プロレスラー人生の集大成というに相応しい一撃でした。

この試合の前に流されたVTRで、BGMとしてゆずの「栄光の架橋」が流れていました。
私はイントロで号泣していて深くは考えていませんでしたが、後になって考えれば、こうこじ付けができるのではと考えました。

HIRO'eの世界一美しいブリッヂは、次なる夢への『栄光の架橋』

困難な日々を超えて引退に辿り着いた

だからもう迷わずに進めばいい

入場曲からも引用してみます。

Stayしがちなイメージだらけの頼りない翼でも きっと飛べるさ

少々こじ付けが過ぎますが。
彼女の努力・彼女の人柄が、多くの人の縁を結び、次なる夢へ背中を押している。その縁の力を具現化させたものがジャーマンスープレックスホールドなのではと。

桜花さんは言いました。「縁の下の力持ち」と。
縁の下の力持ちは、縁に恵まれるからこそ縁の下にいるのであり、縁を大切にするからこそ力持ちでいられるし、縁のある人からも支えられる。多くの人に愛された「愛の力」こそ、最後の技を最高の技に仕立て上げた、彼女の最強の武器ではないかと。

6年という長くない年月ながら、多くの団体・選手・スタッフから愛され、人々に感動を届けた力をもってすれば、今後の人生においても良い未来が来ると信じています。
だからこそ悲観的ではなく、明るく送り出したいと思います。

最後に

中学2年の頃からプロレスを見始めて約14年、これまで何人か好きな選手がいました。どれも歴史に名を遺す選手たちです。

しかし、優劣を付けるわけではないですが、最も好きな選手はと聞かれれば間違いなく「長浜浩江」「HIRO'e」と答えるでしょう。プロレスに対する考え方、試合のスタイル、ファンへの対応含め、私にとってかけがえのない選手でした。

まだ引退したことによる喪失感を100%感じていないように思います。そしてその喪失感が、試合を見られないことによるのか、会おうと思っても会えないことによるのか、その両方なのか、しっかり認識できていません。

感情表現が苦手な私にとっては、こうしてnoteに固めの文章を載せる程度にしか、感謝や気持ちを書く手段がありません。不特定多数の人の目に触れる、ある意味恥ずかしさの公開ですが、手紙を書いたりプレゼントを渡したりが苦手なので、形として出すには一番良いかと思っています。

さて、今となって私にできることは、ただ今後の幸せを願って、時々写真を振り返るくらいしかありません。どこか彼女に振られて未練タラタラな男(まさに自分の性格そのもの)な感じがしますが、良き思い出に昇華していけるよう考えをまとめていきます。

6年間、おつかれさまでした。ひろえちゃんにとっての今後の人生が、より幸せであるよう願っています。また、自分の撮ってきた写真が、思い出の一つとして残っていてくれたら幸いです。

またお会いする機会があればよろしくお願いします。お元気で。

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