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自分は自分にしか守れない。 それなのに、自分を守るために また自分を犠牲にしなくちゃいけないのか。

    • アルコール3%

      ※この物語はフィクションです。 初めてお酒を1缶飲んだお話。 『女子会用に買ったの、飲まなかったからいいよ。』 お酒を飲もうとすれば止めてくる母のセリフに少し驚いた。別に止めて欲しかった訳でもないし、寧ろ好奇心旺盛すぎる思春期の私にとっては堪らなく嬉しいプレゼントだった。ほろよい、桃テイストのそれはアルコール濃度3%。 お風呂上がりの寝る前にでも呑んでやろう、と若いなりに大人びようとした。 深夜2:02。お風呂から上がり真っ先に冷蔵庫に向かう。 上から2段目にそれはあっ

      • 多様性って言葉が必要らしい

        この頃、当たり前のように"多様性"なんて言葉をよく聞くようになった。 今の世は多様性で満ち溢れているべきだ、なんて私の周りの人間も言っている。 けれど、私の解釈は"多様性とは柵であり麻薬"だ。 女子高校生Aと女子高校生Bがいたとして。 そこに友情が生まれれば、仲のいい女の子2人組。 そこに恋愛感情が生まれれば、好きな人もしくは恋人同士。 後者を、マジョリティ側の意見では"多様性"というらしい。 "多様性という"と言うよりも、多様性は大事だからな。なんて聞いたりする。でも

        • 選択とは、選ばないことを選ぶだけだと思ってた。けど、選ばれなかった選択肢はどうなるんだろう? 結局、選ぶことも選ばないという結果に繋がるなら、この世界は存外大したことは無いのかもしれない。

        自分は自分にしか守れない。 それなのに、自分を守るために また自分を犠牲にしなくちゃいけないのか。

        • アルコール3%

        • 多様性って言葉が必要らしい

        • 選択とは、選ばないことを選ぶだけだと思ってた。けど、選ばれなかった選択肢はどうなるんだろう? 結局、選ぶことも選ばないという結果に繋がるなら、この世界は存外大したことは無いのかもしれない。

          教師に教師はいない

          教師と呼ばれる職種は様々だが、今回は私の通っている学校の教師を指して話をする。 私の通っている学校には、教師はいない。 教師と言う職種の人間はいるけど、私にとってはただの赤の他人で、知らない知識を教科書通りに教えてくれる人。 教師、というよりも音読をしてくれる人に近い。 私の教師という言葉のベクトルがどのように向いているかにもよるが、少なくとも教師と呼べると判断したいと思った人はまだいない。悲しいことに、私の学校には反面教師がうじゃうじゃといる。 1度は聞いたことがある人も

          教師に教師はいない

          冷たいおふとん、暖かいコンクリート。 知っている初めて。

          冷たいおふとん、暖かいコンクリート。 知っている初めて。

          言葉を連ねるのも、夕飯を決めることも

          高校生になってからというもの、周りからたくさんの刺激を受け、それなりの教養を身につけ、選んでいく世界という感覚が他人事ではなくなった。 移動教室先へ行くために足を運ぶタイミングやその行動自体に、数字じゃ表しきれないような無数の可能性の数々がどこか横行しているおかげで思考回路はままならない。 古来の人間が生み出した、人間にとっての大きな財産の割に大した力もない。そう思ってしまうのは我儘なのだろうか。期待なのだろうか。 少し脱線したが、要するに選択する事への意義を時折不安がってし

          言葉を連ねるのも、夕飯を決めることも

          赤ペン先生は

          順番。男(女)だ。この人はいい人だ、好きだなあ。 この人はいい人だ、好きだなあ。男(女)だ。 これだけで価値観や自分にとっての愛に対するベクトルは違う。どっちもある。正しいも間違いもなく。ただそこに存在する。誰かが否定することはできない。答えこそないから。 上記の例なら、赤ペンをつけるのは恋をした人だけでいいこと。同じ解答用紙に赤ペン先生は何人も要らない。 否定も肯定も誰かにとっては苦しいものになりうるしまた誰かにとっては幸せなものにもなる。だから否定すること肯定することに

          赤ペン先生は

          落ち葉を避けても

          どんなに善良でも、皆が「彼、彼女は優しい人だ」というかと言われればそうであるときの方が少ないだろう。まるで落ち葉を避けて歩かれるように。 ** イチョウが綺麗な道を毎日歩いている。 地面のコンクリートが見えなくなるほど敷き詰められた黄色は、秋という季節を彷彿とさせるものの代名詞だろう。けれど少し、少しだけ人が歩いたあとのように真っ直ぐコンクリートが広がってる。よく人が通る場所だからその事実にも頷けるものだ。もちろんその道にそって私も歩いている。これが少し楽しい。 けれど1枚

          落ち葉を避けても

          i

          ずっと今まで誰かに愛される自分を想像してきた。 家族以外の誰か、友達、先輩、後輩、色んな人。 言ってしまえば他人に愛されたかった。誰かに心から愛されてみたかった。一緒に夜家から抜け出して遊びに行けちゃうような人、話をしてて楽しい人、沢山笑いかけてくれる人、なんでもよかったからただ誰かに愛されたくて、でも期待は自分を追い込むからと抑え込んでた。 多分私、自分に愛されたい。 自分で自分を誇りに思えて、自分を自慢できて、自分を好きになれて、自分という一人の人間を見つめて、今まで求

          感情の揺れ動く場所

          人の心が動く場所。それぞれの形はあるけれど多くは芸術的なものに触れている時間や場所、空気の中であると思う。 絵や音楽が主だろう。例えで絵を出してみる。 自分のつくった絵や立体作品を講評してもらう会があったなら、肩に札を垂らした先生に話しかけ、自身の作品について話し合い、教授し場合によっては享受する。 ** 前にいる生徒は先生と作品についての話をしている。自分の後ろには少しだけ列ができていた。講評を待っているのである。前にいる生徒が講評が終わり、話しかけようとした矢先に1人の

          感情の揺れ動く場所

          フィロソフィア

          フィロソフィアという言葉が良く似合う人。 ギリシャ語で、「知を愛する」という意味らしい。 普段の雰囲気からは想像もつかないような多彩さ、知識量の多さ、感受性の豊かさ、触れれば触れるほど溢れるように出てくる彼のその姿はどうにも眩しくて、でも人間らしい生き方をしている部分が垣間見えた時はどうにも愛しく、可愛げのある存在だと思う。 出会えた場所はここだけれど、私が声を上げた日に行けるならどうか今度は画面越しに会えるのではと、馬鹿の一つ覚えみたいにずっと、ずっと繰り返す。 健気な青年

          フィロソフィア

          たった

          好きな人が女の子だった。 かといってこれからすきになる人が女の子だけという訳でもなく。なんなら性別という垣根を壊してやりたいとさえ思う。好きになった人が好き。それがたまたま同性だった。 それだけ。 今の日本社会において、あくまで私の見え方だけれど多様性という言葉は一種のアクセサリーのように思う。上っ面だけで、キラキラしているだけで、実際身の回りにマイノリティ側の人間がいた時、多様性を唄っている人達のうち、どのくらいの人間が心から受け入れるのか。どこかでもやもやしたり、多様性

          たった

          匂い

          緑に囲まれた道、ギー、ギー、と鳴く虫と共に進めていく歩は、蒸し暑さはありながらも植物の呼吸を感じている。 何気ない夏休みのあの日、目が覚めた頃には家の中に家族の音は感じられず、窓を覗けば華星がビーズのように散りばめられていて、言葉というひとつの表現を使うには勿体なく、物悲しさと不思議な浮遊感を覚えている。 それから数時間後には外に出てひたすら団地の中を歩く癖がついていた。もちろん家族にバレずに。 1種の幼心から生まれる冒険心ももちろんあったけれど、なにか失いたくない大切な存在

          期待、言葉

          期待に応えるという言葉は私の中では不安定に近い。 応えなんて誰も分からないし決まりなど広い視野で見てしまえば無いに等しいようだと思ってしまう。身勝手に相手に自分の理想を押し付けているだけでその先は無く、ひたすらに解決など見つからない。 そもそも応えとはなんなのか、応えなんてこの世に本当にあるのか。あるとしたら人間が作り出した数字上のパフォーマンスと同じでしかないだろう。1+1が数式上では2になるような、私たちの扱う言葉に答えはあるのか。 たしかに答えも人間が生み出したひとつの

          期待、言葉

          呪いと御札

          紙などといった契約を結ぶ物を媒介として約束事をするという事実は呪いではなく御札であると思う。 言葉というのは言霊というように非常に大きな力があり、言霊が全てではないが死ねと言われ続ければ死ぬ人間だって世の中にいる。そういった言葉は力を持つと同時に酷く曖昧で、時間という波が押し寄せてくればくるほどに忘れ去られていく。そして確証といったものさえも無くなり誰が覚えているかも分からないそんな不安定なものへと移り変わる。ならば、契約書などというのはなにかを媒介として言葉を紡げば、そこに

          呪いと御札