見出し画像

復讐の預言、励ましの預言 ①


――
イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。
――


全六十六巻から成る、聖書なる書物の最後の一章『ヨハネの黙示録』とは、上のような書き出しをもって始まっている。

もうなんどか述べて来たことと重複するが、聖書の各章の冒頭には、おおよそ、それの綴られた「目的」や「意図」やについて、示唆されていることが多い。

そうして、よく、世界の終わりとか最後の審判にとかついて描かれた、空恐ろしい預言書のように言われる『ヨハネの黙示録』においては、非常に明確に、明瞭に、書かれた「目的」と「意図」とが明らかにされている。

すなわち、「すぐにでも起こるはずのこと」について、「キリストの僕(しもべ)たちに示すため」にこそ記された、ということが。

なぜなら、「時が迫っているからである」と。

またそれゆえに、この預言の言葉を朗読し、「その中に記されたことを守る人とは、幸いな者なのである」と――。


以前にも、わたしは『わたしは主である』とか、『ヨハネの洗礼、キリストの洗礼』といった文章にて、はっきりと言い表したことがある。

聖書とは、それを読んだ人間が、その後どちらの方角へふるい分けられていったとしても、それはその者の心次第、霊しだい、選択しだい、人生しだいであるばかりであり、

これを換言するならば、いっさいは「神の御心しだいである」という、まことにまことにフザケタ書物であり、文字の羅列であり、そして、神の言葉であるのである、と。

そして、ここでもっとも”悪い”ひとつ事とは(あえてこのような言葉遣いを選ぶのだが)、その者の心しだい、というのと、神の御心しだいというのとは、一見矛盾しているようで、実はすこしも矛盾してはいないということなのだ。

どういう意味であろうか――?

これについても、もうなんども言って来たように、「分かる人には分かる」という話でしかない。

であるからして、こんなところでいちいち解説じみた言葉を並べるべくもないのだが、あえて、一言にして以って語らせるとするならば、「コインの表裏」という理屈である。

それでもなおピンと来なければ、

「それでも、ファラオの心は頑迷になり民を去らせなかった。」

「しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、彼は二人(モーセとアロン)の言うことを聞かなかった。」

というふうにも書かれてあるので、あとは自分自身で答えを探し求めたらよろしいというものである――聖書の中にでも、己の人生の中ででも。


いずれにしても、わたしのこの文章の目的もまた、そこにこそ横たわっている。

すなわち、『ヨハネの黙示録』を読んだ者の中で、そこに書かれてある事柄を――そのほとんどがその言葉通りに読んだだけでは、意味不明な記述や、荒唐無稽ともいうべき幻の描写やを、「自らの身をもって」理解し、守ろうとする者だけが「幸いなる者」なのだ、ということである。

反対に、『ヨハネの黙示録』を手に取って読了してみたはいいものの、ひっきょう、何を言っているのか分からなかったし、ヨハネの見たという幻について、満足に解することもできなければ、なにより、そこに込められた「神の心情」や、「イエスの思い」にまでたどり着けなかった人間とは、すべてなべておしなべて、「災いなる者」でしかなかったということなのである。

それゆえに、

信仰によって、もう一度はっきりとくり返しておく、

いやしくも世界でもっとも多くの人間に福音を語っていようとも、世界でもっとも多くの系図的遺伝的民族的ユダヤ人をかき集めた国家の建設に成功していようとも、世界でもっとも多くの信者だ信徒だ教徒だのを獲得した宗教的実績を積み上げてみせていようとも、

聖書という文字の羅列、なかんずく、『ヨハネの黙示録』を朗読してみたところがまったくついて行けず、ついて行けなかったがためにその中に書かれてある事柄を「自分の人生をもって」守れなかった人間など、いみじくも同預言書に描写されたとおりの、「偽りのユダヤ人」たるにすぎない。

そういう者どもとは、たとえ世界でもっとも何をどうしたという偉人傑物の類であったとしても、たとえば『ヨハネの黙示録』のような、不親切きわまりない預言書にも込められた「神の思い」によって、ただ截然とふるい分けられていくばかりなのである、

そう、一方は「第一の復活」へ、もう一方は「火と硫黄の池」とか「第二の死」とかいうものの方角へ――。


だからして、

これもまた、わたしの神イエス・キリストから言えと言われたままはっきりと言っておく、

「神」とは、「わたしはある」という方とは、あるいは「わたしは主である」という全能者とは、あるいはまた「イエス・キリスト」なるメシアとは、いつもいつでも、そしていつまでも、そういうはなはだしく不親切な、不人情な、不条理な性格をしたヤロウ様でしかない。

さりながら――

それゆえに、まさにそれがゆえに、

たとえばこのわたしのような、生まれ落ちる以前から「幸いなる者」が『ヨハネの黙示録』を読む時には、いつもいつでも、「価なしに」、イエスからの「励まし」を受けることができる。

すなわち、あなたは正しく、あなたは間違っていない、あなたはよくやっており、このまましっかりと信仰を守り、行いを継続すればいい、さらに良いことには、あなたにはまだずっとずっと良くなる余地まで残されている、というふうに――

またそして、今、あなたの目睫に横たわる苦難、患難、試練、鍛錬といったものを乗り越えることができれば、あなたがかつて見たことも聞いたこともなければ、思い及びもしなかったような素晴らしい報いが待っている、それがたとえば、「勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう」という言葉の意味であるのだ、というふうに――。

ところが、

かたや、このわたしがいつもいつも批判し、口を極めて糾弾しているこの世のユダヤ教キリスト教の世界に棲みついた「お前」のような偽預言者や、偽りのユダヤ人らが『ヨハネの黙示録』を読むと、その心に「恐れ」を抱く。

自分の心の選択によって、神の計らいによって、「恐れ」ただそれだけを、抱かされる。

そのために、同じ「恐れ」をば、お前たちはお前たちの各宗派教義神学に宿らせて、しかりしこうして、それらをまき散らすお前たちの各教会の中にこぞり集まった人々へと、乗り移らせるのである。

たとえば、

ハルマゲドンだ、大患難時代だ、ゴグとマゴグだ、最終戦争だ、世界の終焉だなどと叫び上げては、まことしやかに信じ込ませ、

そうなりたくなかったならば、俺たちの教会でバプテスマを受けろと、

携挙されたかったならば、第一の復活に与かりたかったならば、千年王国でキリストと一緒に統治したかったならば、俺たちの宗派教義神学に聞き従って、俺たちの教会に献金しろ、寄付しろ、奉仕しろと、

そんなふうにして、自覚認識見当識の有無を問わず脅迫し、強要し、だまし取り、盗み取り、奪い取るのである。


自覚認識見当識の有無を問わずして、そういう行いのいっさいが、このわたしと、わたしの神イエス・キリストとが憎んでいる「ニコライ派の教え」でなくて、いったいなんであろうか。

人の心身に「恐れ」を抱かしめる宗派教義神学が、「バラムの教え」でなくて、なんであろうか。

そのようにして、なんのしるしにも救いにもなりはしない教会のバプテスマなんぞを施してやるから、その対価として人々から金と時と生き血を啜り取り、私腹を肥やしてさも当然のごとく、あるいはキリストの教えのごとく見せかけているいっさいのふるまいが、「イゼベルという女のすること」でなくて、「実はユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者」による「罪」でなくて、なんであろうか。

このわたしは、お前の聞くと聞かないとに、また認めると認めないとに関わらず、わたしの神キリスト・イエスから言えと言われたまま、はっきりと言っておく、

いやしくも世界でもっとも多くの人間に福音を語り、世界でもっとも多くの系図的遺伝的民族的ユダヤ人をかき集めた国家の建設に成功し、世界でもっとも多くの信者だ信徒だ教徒だのを獲得した「お前たち」が、

あるいは、ただただ真面目に、おとなしく、善意と誠意とをもって聖書を朗読し、巷の教会に通い、礼拝と賛美と奉仕を続けているだけの「お前たち」が、

まことしやかに、言葉巧みに、いかにも善人然として、何をどうしていようとも、

そんなお前たちの行いなど、すべてなべておしなべて、見抜かれている。

「人の思いや判断を見通す者」であるところの、イエス・キリストによって、見抜かれている。

そうして、「お前たちの行ったことに応じて、一人一人に報いる」という言葉のとおりに、お前たち一人一人とは、報いられる。お前たちがお前たちのよるべとした宗派教義神学と、通いつめた教会と、生きた全人生とにおいて犯したひとつひとつの「罪」とは、ただのひとつも目こぼしをされることもなく、ことごとく数えられている。

それが、

それこそが、

「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」という、

古今東西のキリストの僕(しもべ)たちの魂の叫びに対して、イエス・キリストが与えた『ヨハネの黙示録』という、「復讐と励ましの回答」だからである。



つづく・・・



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?