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「日本らしさ」と「アメリカの影」 :遠藤不比人編『日本表象の地政学 海洋・原爆・冷戦・ポップカルチャー』(彩流社、2014年)書評
・最近パンクについて久々に考えていてこの本の存在を思い出したのだが、調べてみたら10年ほど前に授業の課題で書いた書評が出てきたので再掲。源中由記さんの文章をぜひまた読みたいのだが最近は何をされているのだろうか・・・。 全部で四部・八章からなる本書、遠藤不比人編『日本表象の地政学 海洋・原爆・冷戦・ポップカルチャー』(彩流社、2014年)の構成と各論文の意義については、編著者遠藤による序文において的確かつ簡潔にまとめられている。そこで本稿では、本書の構成と異なる以下の二つの
「喪失なき成熟──坂口恭平・村田沙耶香・D.W. ウィニコット 」 序(初出:限界研[編]『東日本大震災後文学論』南雲堂、2017年、pp. 141-48)
しかし、空間は到る処にある。新しい世界は、到る処にあるのだ。たとえ、それをみいだすため に、コロンブスと同様の「脱出」の過程が必要であるにしても。 ― 花田清輝『復興期の精神』 正直なところ、はじめにこの論集のテーマである「震災後文学」が提案されたとき、わたしはそれ に違和感と反発を覚えた(そして、いまだにその違和感は消えてはいない)。事実、二〇一一年の東 日本大震災以降、それまでわたしが熱心に作品を追ってきた作家や映画監督の何人かも、地震・津波 の
[書評]レベッカ・L・ウォルコウィッツ『生まれつき翻訳 世界文学時代の現代小説』(佐藤元状・吉田恭子監訳、田尻芳樹・秦邦生訳、松籟社、2021年)(初出:「図書新聞」 3548号4面)
翻訳をテーマとする文学研究と聞けば、おそらく多くの人が、原文と複数の訳文を比較するような内容を想像するだろう。ところが、本書の射程はそれよりもはるかに広い。英国モダニズム文学の研究者としてキャリアをスタートさせた著者レベッカ・L・ウォルコウィッツの手になる本書は、「生まれつき翻訳」という概念をもとに、狭義の英文学どころか、紙に書かれた文学作品の枠すらも超えながら、多様な作品群を類例のない方法で分析していく。巻末のコラボレーションにおける印象的な表現を借りれば、分析対象や方法
謎のリアリティ第42回「ミステリと陰謀論」(トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』(新潮社)、ジェシー・ウォーカー『パラノイア合衆国——陰謀論で読み解く《アメリカ史》』(河出書房新社)(初出:「ジャーロ」78号)
対象作品 『ブリーディング・エッジ』 トマス・ピンチョン(新潮社) 『パラノイア合衆国――陰謀論で読み解く《アメリカ史》』 ジェシー・ウォーカー(河出書房新社) 人前に滅多に姿を現さない覆面作家として知られるアメリカ文学の巨匠トマス・ピンチョンには、なぜか母語である英語では未発表で、日本語訳のみが流通している怪文書が存在する。表紙を飾るピンチョン作品に現れそうな金髪美女の姿が眩しい『PLAYBOY日本版』二〇〇二年一月号の特集「苦悩するアメリカ」には、ジョン・アップダ
山梨の地を再び踏みしめること ——『典座—TENZO—』と空族の一五年(初出:『キネマ旬報 2019年10月下旬号(1822) )
『典座—TENZO—』は「選ぶ」ことをめぐる映画である。人は誰もが、自らがどのような土地、家庭に生まれるかを選ぶことはできない。しかし、やがては自らを取り巻く環境とどのように折り合いをつけて生きていくかを選択せざるをえない。本作の主人公である二人の若き僧侶、河口智賢と倉島隆行もまた、山梨と福島という土地で、この困難にそれぞれの方法で立ち向かっていく。 たとえば、青山俊董老師との対話において智賢は、僧侶になることが定められた自らの境遇に反発したかつての経験について語る。当
書評:濱口竜介・野原位・高橋知由 『カメラの前で演じること——映画「ハッピーアワー」テキスト集成』左右社、二〇一五年。[初出:図書新聞 (3248) 2016年3月26日号、2面]
本書は、全国で順次公開され大いに話題を呼んでいる映画『ハッピーアワー』の制作にまつわるテキストを集成した一冊であり、映画同様に三部構成から成る。五時間超の大作は、いかなる経緯と方法論で制作されたのか。短い序文に続く第一部「『ハッピーアワー』の方法」で濱口竜介は、撮影に先立って開催された「即興演技ワークショップ in Kobe」(以下WS)や過去作に遡って、その多様な「準備」の過程を自ら解き明かしている。 どうすれば、その多くが演技経験を持たない演者たちが、カメラの前でそ
書評:ドン・デリーロ『ポイント・オメガ』都甲幸治訳、水声社、二〇一九年(原書:二〇一〇年)。[初出:図書新聞 (3400) 2019年5月25日号、6面]
本作『ポイント・オメガ』(二〇一〇年)は、ある肌寒く、ほぼ完全に真っ暗な美術館の展示室から幕を開ける。そこでは匿名の男が、半透明のスクリーンに映し出された映像作品を見続けている。彼が毎日展示室に通い、立ったまま集中して見ているのは、アルフレッド・ヒッチコック監督による映画『サイコ』(一九六〇年)と全く同じ映像を、音声を取り除いて二十四時間かけてスロー再生した、ダグラス・ゴードンによるアート作品『二十四時間サイコ』(一九九三年)である。 男は、ジャネット・リーが殺される、