『カメラを止めるな!』についての違和感(ネタバレしています)

上田慎一郎『カメラを止めるな!』、この手の映画が思わぬところまで届いて客がたくさん入ってる事態は本当に喜ぶべきだし、これを機にホラーとかゾンビものとかもっと広く自主映画全般に興味持つ人が増えることになれば素晴らしいと思いますが、個人的には、そもそもの姿勢に納得いかないところが多々ありました。何箇所も笑ったし、泣いたところもあり、作品自体にいいところはたくさんあったとは思うんですが、監督が、ゾンビ映画も、役者、スタッフも観客も、本当はあらゆるものを信じていないように見えてしまうところに非常にもやもやしました。

端的に一番問題だと感じたのは、最初の劇中劇だけでも勝負できるように作っていないことです。もちろんそれがこの映画の戦略になっているのは確かだとしても、劇中劇を独立した作品として提示する気がない時点で、裏方スタッフの頑張りや家族の仲直りがいかに印象的に演出されたとしても、その結果が最終的にあれなのか、という話になってしまうと思うのです。予算のない自主映画で、スター俳優も出ておらず、と確かに作品の純粋なクオリティで勝負するのは難しい部分がある。それは理解はできるのですが、あの構造を採用してかつ劇中劇の強度を追求しない、という方向性をとると、あーあのグダグダ感は全部狙ってたのか、なるほど!ですむことになってしまう。結果的に、なのかはよくわかりませんが、ある種のどんでん返し要素を強調することで、「前半の作品の弱さに対する言い訳として後半が機能する」ことになってしまっているのが非常にまずいと思います。海外では『ショーン・オブ・ザ・デッド』なんかと比較されたりしているようですが、好きすぎるものへのリスペクトからくる笑いと、そもそもアイディアのネタの一つとしてしか扱っていないものを同列で語るのはちょっと違うような気がしました。

で、それに関連して、やはり観客のことも全く信用していないな、と感じたのは、とにかく一から十まで順を追って丁寧に説明しすぎ、ということです。まあこの辺は普段映画とか小説に慣れ親しんでいるか、とかターゲット層をどの辺に置くか、とかさまざまな要素が関わってくるので、最適解がどのあたりかはケースバイケースだろうし、最終的にはどのぐらいのさじ加減が好きか、というのは趣味の問題になってしまうとは思うのですが、それにしてもちょっと親切すぎるかなと。(このぐらいの親切度に設計したから人気が出た可能性もあるような気がするので難しいところですが・・・)。具体的には、うんことか護身術のくだりは後半始まった時点で明らかにおかしかったのが丸わかりなのでもう少し簡潔にして欲しかったのと、一番ショックだったのはクライマックスで、正直最初に娘があの姿勢でカメラ構えたときには感動してちょっと泣いたのですが、そのあとすでに一度映ってた写真をもう一回わざわざ出してきたところでものすごく冷めました。あれは作り手側の用心とか保険のような面もあるのかもしれないですが、そういうものを入れておこう、という発想自体に観客の目を全然信用していない、という印象を受けました。(もちろん実際は制作中にこの映画そのもののプロデューサーとかとの折衝があって最終的にあれが入った、という可能性もあるとは思いますが・・・。)劇中劇がさまざまな大人の事情で妥協させられそうになるけど、みんなで協力してただの商品じゃない、いい作品を作るんだ、というテーマを掲げている裏で、実は後半も含めたこの作品全体に、商品としてちゃんと成立しているか、ものすごく観客に気を使ってる感じが透けて見えてしまう部分があったような気がします。

色々書いたのは、たまたま最近見直した同じENBUゼミナール関連作品で、劇中劇構造を使っているところまで共通している濱口竜介『親密さ』とあまりにも対照的な構えが感じられたから、というのが大きいです。あちらはあらゆる「弱さ」を隠さずにさらけ出してそのまま武器にしようともがいている部分に最大の魅力がある映画だと思うので、『カメラを止めるな!』が面白かった人もちょっともやもやしてしまった人も、18日に新宿でオールナイト上映があるようなので、そちらに行ってみてもらえたらと思います。

上田監督は映画内の監督同様、色々苦労して初の長編ということで、その経験を生かすためにあえて今回だけこのような手法をとっただけ、ということも考えられるので、少なくとも次回作は観に行きたいとは思います。確実に今回よりはいい条件で撮れることにはなると思うので、スタッフや観客を信頼して、ジャンル映画愛を直球で表現するような映画が観てみたいです。

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