むしのていこう

外国語のトレーニングとして、日本語歌曲(大抵アニソン)の翻訳を、頭の中でやってみることにした。のんびりやりたいから、あんまり一生懸命にならず、好きな/印象的なフレーズ一行をだけでもいいからやってみる。

結構面白い。歌詞の翻訳ということで、意味が通るという以上に、音楽性・詩性があることを重視する。だから、語順を入れ替えたりアクセント考えたりしながら試行錯誤。それから実際の音にはめて歌ってみる。

という小さな努力から、もう一度始める必要があるのかもしれない。

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小さな努力を積み重ねるというのが、あるいは苦手だったのだろう。
なぜだかそういうことが得意だと思っていたのだから、全くもって自分のことに無頓着だったというほかはない。ちゃんちゃらおかしな話である。
もっとも、よくよく振り返れば筋の通る話だ。
何もなかったのだから。小さな努力(それは小さいが故に、肯定的なニュアンスで「ほとんど努力」じゃない)をしたいと思えるようなものが、何もなかったのだから。

幻想を一つ一つ潰していく作業は、月並みな言い方だけれど、私にとっては掛け違えたボタンを一つずつ解いて、それからあるべき場所に再び紡いでいくあの作業に、似ている。

昔からボタンをかけるのは苦手だった。
鏡をみるのも苦手だった。
苦手苦手苦手苦手苦手。芋虫。のようにとろい。

衣服だったらボタンの数には限りがあるから、かけちがいを直す作業にも終わりを見出すことができる。けれども、もっと抽象的なレベルで現れる幻想なるものが、一体いくつあるのか、本当に潰しきれているのか、まるでわからない。言葉でははっきりと定義できるのに、その終わりはまるで見えない。シシュポスの神話みたいな。

それでも、小さなところから。




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