見出し画像

映画「AIR/エア」- エアジョーダン誕生秘話を描いた物語の史実と違うところ【ネタバレ注意】

はじめに

人気スニーカーの代名詞ともいえるNIKEのエアジョーダン。その誕生を描いた映画「AIR/エア」を観てきました。しかし、公開から1ヶ月経たずに終わるとは。最終日に映画館へ駆け込んできました。ただ、Amazon Studiosだから近いうちにアマプラ独占で配信になりそうです。

よく言われていますが、ほぼオッサンばっかりが出てくるかなり特殊な映画です。しかも選手のスポンサー契約がストーリーの主軸。唯一登場するメインの女性がジョーダンのお母さん。でも、名優たちの素晴らしい演技のおかげか、あっという間に上映時間112分が過ぎ去っていく面白さでした。

自分がエアジョーダンと出会ったのは1992年、大学1年生の時でエアジョーダン7が登場した年でした。それから30年間履き続けている往年のエアジョーダンフリークです。史実に基づく実話ということですが、何カ所かかなり気になるツッコミどころがあり、ネットを調べてみてもあまり間違いを指摘している記事がないため、モヤモヤを解消すべく、この記事を書くことにしました。あくまで自分の把握している知識と違う部分のみツッコミますので、ご了承ください。

※以下ネタバレ注意ですので、映画をまだ観ていない人は映画を観てから読むことをオススメします!


その1 プロトタイプのカラーリングが違う

ジャンプマンロゴの元になった有名な広告写真。シカゴにあるシアーズタワーをバックにミシガン湖畔で撮影された

劇中では週明けのプレゼンに向けて、数日でピーター・ムーアがジョーダン専用シューズのプロトタイプを用意します。ジョーダンが所属予定のシカゴブルズのカラーリングである赤を基調としたシューズを用意するが、登場したのは通称“シカゴカラー”と呼ばれるセカンドカラー。有名なプロトタイプカラーは通称“ツマ黒”と呼ばれる白を基調として、つま先が黒く踵が赤いカラーリングで、有名な夕日をバックにダンクをする写真でジョーダンが履いているカラーリングです。自分はこのカラーのジョーダン1を履いて劇場にいったのにガッカリ。ただ、製品版として発売されたツマ黒モデルと違い、プロトタイプはタンが黒くなっています。

その2 反則金を払ったカラーリングは黒赤モデル

同じくプレゼン時に登場するプロトタイプのカラーリングについてですが、劇中に登場したシカゴカラーはNBAの規定に則った反則金を払わなくて済むカラーリングに変更した配色で、反則金を払ったことをネタにしたCMが作成された有名なカラーリングはミッドソールにしか白が存在しない黒赤のモデルの通称“BREDカラー”で、そのシューズを見たジョーダンは「悪魔のシューズみたいだ」と言ったといいます。(これはライバルチームのカラーが黒赤で通称“デビル”と呼ばれていたから)また、シューズと同時にエアジョーダンブランドからジャージもリリースされました。劇中でジョーダンがアディダスのジャージを欲しがっている話が出てきますが、ジャージも用意した話も加えても面白かったかもしれません。

その3 プレゼンの時点でウィングマークが完成している

この写真ではウィングロゴではなく、「AIR JORDAN」と文字が入っているだけ

またまたブレゼン時に登場したプロトタイプについてのツッコミですが、有名なウィングロゴが既に完成しています。こちらはピーター・ムーアが飛行機に子どもが乗るともらえる操縦士のバッジをモチーフに飛行機での移動中、スケッチブックがなかったため、ナプキンにアイデアスケッチを描いたモノからデザインしたそうです。しかし、当時のパンフレットに写っているツマ黒カラーのプロトタイプでは、ウイングロゴ部分に「AIR JORDAN」とテキストが入っているだけなのがわかります。さらにウィングロゴの「AIR JORDAN」の部分が「NIKE AIR」のバージョンもあり、ウイングロゴの完成にはもう少し時間がかかったと思われます。

その4 契約を交わしたからハッピーエンドではない

AIR JORDAN IVには“Flight”が入っている。ソールもAIR Flight 98と同じモノでシグネチャーモデル感が薄まってきていた。シリーズが消滅するかもしれないという危機を、4作目のヒットにより土壇場で回避した。

劇中ではコンバースやアディダスからジョーダンの契約を勝ち取り、無事エアジョーダンをリリースして成功したとなっていますが、あそこで終わりではありません。有望な新人ではありましたが、劇中にもあるように指名3位の選手。さすがにシグネチャーモデルとしてすぐに人気が出たわけではなく、当時ファーストモデルはワゴンセールとなりました。
このとき安売りしていたエアジョーダンに目を付けたのがスケーター。スケーターはすぐにスニーカーを駄目にするので、ソールが薄く安いエアジョーダンを重宝していたみたいです。かの有名な藤原ヒロシも当時エアジョーダンを履いてスケボーしていたそうです。
3年目に入った時、ジョーダンはNIKEとの契約を打ち切るつもりだったらしく、3代目モデルのプレゼンがNIKE本社で開かれた際、ミーティングに1時間遅刻してきたそうです。その時1作目をデザインしたピーター・ムーアは既にNIKEを去っており、AIRMAXをデザインしたティンカー・ハットフィールドが新たにデザインを担当。遅れてやってきたジョーダンにサプライズで試作品のシューズを取り出し、みごと場の空気を変えることに成功。ジョーダンはNIKE残留を決めます。劇中のプレゼンにプロトタイプを登場させたのはこの時のエピソードを組み込んでいるのでは?と思っちゃいました。しかしながらこの3作目も鳴かず飛ばずで、とうとう4作目でNIKEはシリーズを同社のバスケットシューズブランド“Flight”シリーズに組み込み、シリーズ終了を目論んでいました。ところがこの4作目で人気に火がつき、次の5作目で爆発的な人気を獲得し、シューズを巡って殺人事件が起こるほどになります。個人的にはエアジョーダンの成功の物語はここまでやるべきだったと思うのです。

その5 ジャンプマンロゴをデザインしたのはピーター・ムーアではない

3作目でデザイナーが変わり、ウィングロゴからジャンプマンロゴに変更になった

なんといってもこの記事を書くきっかけになった原因がこちら、エンドロールで昨年亡くなったピーター・ムーアが紹介されたとき、映像では有名なジャンプマンを描くピーター・ムーアが登場します。テロップでもジャンプマンロゴを作成とか書いてありますが、こちらは3作目からデザインを担当するティンカー・ハットフィールドがデザインしたもので、完全なる間違いです。最後の最後にこんな大問題をぶち込んできたことで、自分の中でこの映画の信憑性が一気に崩れ去りました。でも、さすがに公開前にNIKEのチェックが入っているだろうし、本人は他界しているとはいえ、ティンカー・ハットフィールドがツッコミを入れないということはこれは事実なのかな?いやいやいや。
ピーター・ムーアはNIKEを去ったあと、アディダスへ移籍して“パフォーマンスロゴ”をデザインしたことが有名です。そもそもエアジョーダン開発時にピーター・ムーアはロゴデザインを担当し、シューズデザインはもともとあったエアシップというシューズを元にエアフォース1をデザインしたブルース・キルゴアが作成したようです。キルゴアは劇中に登場しなかったですね。

NIKEの創業のストーリー“SHOE DOG”も期待

日本製(アシックス)シューズの代理店から始まったベンチャー企業のNIKEはワッフルメーカーからヒントを得たワッフルソール、70年代にNASAの元技術者のアイデアを採用したエアソールでランニングシューズに革命を起こしましたが、バスケットシューズの分野で苦戦していました。そこで起死回生をはかり、新人選手に全てを賭けたところ、シグネチャーモデルという新しいジャンルで奇跡の大成功を収め、世界一のスポーツメーカーになりました。この映画を見る前に劇中にも登場したフィル・ナイトの「SHOE DOG」を読んでおくともっと楽しめます。実はNIKE創業のストーリーは今回の話より、いろんな意味でもっと激しいです。Netflixが「SHOE DOG」の映画化権を獲得したそうなので、こちらも映像化が楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?