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希死念慮と自殺企図とゲートキーパーと


一般論として、自殺は止めるもの。自殺はやめとき。ということはわかってる。命は大切なもの。異論もない。という前提の上で、
弱い自分の感性と過去を書いてみる。

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希死念慮は、自分にとってとても身近なものだ。
記憶の範囲では、最初に感じたのは小学生の頃だったと思う。
私は小学校に一番遠い、隣の学区との境あたりの家で、下校時には一緒に学校を出た子たちと順番に別れ、最後は一人でしばらく歩く。途中にとても小さな川とそこにかかる橋がある。橋から小川を見下ろして、「これじゃ死ねないな」と思ったのだ。ランドセル背負った小学生が。なぜだかわからないけど、その記憶は強く残っている。

虐待もなく、普通にご飯が食べられて、学用品も揃えてもらって、一般的な不自由ない家庭で、親に対して特に反感も抱いていなければ、おとーさんすきー、おかーさんすきー、みたいな感情も取り立ててない、普通に育っただけなのに。
ある時期には帰宅拒否を起こし、小学校の反対側にある親類の家に居着いた記憶も朧気にある。
今でも存命の親とは普通に交流していて、負の感情はないし、
これじゃ死ねない、と思ってみたり、なんとなく帰りたくないと思った根底になにがあるのか、未だに自分でもわかっていない。

次に明白に希死念慮の記憶があるのは、子が幼かった頃だ。こちらは理由はわかっている。
嫁とはこういうものだ、子どもを産んだ以上、何もかも受け入れ投げ出してはいけないのだ、と自分で自分を檻に入れ、望んでいない人生を生きていることが辛かった頃だ。
子を連れて逃げるお金もなく、頼る実家もなく(実家は、親になったんだから子のために辛抱しなさい、というタイプ)、子を置いて一人でも逃げるお金もなく、置いていくわけにはいかない、程度の責任感はあったから、自殺は考えられなかった。
ここでトラックが突っ込んできてくれたら、楽になるのになあ
ある朝、ごみ捨て場までごみ袋を下げて歩く途中で、強烈に思ったのだ。

希死念慮には、吸い寄せられるものがあるんじゃないだろうか。

自殺する度胸はない、でも、生きている今がつらい。
いつかいいことあるよ、って、いつか、まで永らえることを考えただけで、それまでこの人生にいることがもうつらいのだ。
事故なら、自殺する度胸がなくても、このつらい日々を閉じることができるのだ。
この発見以降、事故死を願って過ごすことになった。
今日も事故に遭わなかった、ことを、ガッカリして暮らしていた。

結局、幸か不幸か、誰も私を偶然の事故に巻き込んでくれることなく、現在に至っているのだが。

その、人生の一番辛かった頃は過去形になっている。
あの頃の私に、ゲートキーパーの人が、寄り添って聞いてくれたらどうだったんだろう?

話を聞いてくれる人が欲しいんじゃない、この生活から出してほしいんだ
でもがんじがらめで動けない。これはお話聞いてもらったからと解決できるわけじゃないよね?

って、孤立を深めるだけのような気がしなくもない。
死にたいと思ったことが幾度もあって、
そこから脱出してからも、
3日後くらいなら考えるけど、3年後にどうしてるとか考えたくもない、人生いつ終わっても別に?むしろ3年後なんて人生終わってて良くない?
程度に投げやりに生きていた期間も相当に長くて
このままずるずる、老いるまで生きてるんだろうな、
って思えるようになってからまだ数年だ。

死にたい、って思うこと、べつにフツーやん。あるあるやん。
死にたい人を止める、って、本当にそれがいいのかな。
死んだら楽になれる、って楽になる方法奪っていいのかな。
もちろん、自殺の背中を押したりは絶対にしないけど。
止めるほうにも、責任が生じる気がしてならない。
自分は、楽になりたいと思った側なので。
親が悲しむよ、と言われても、じゃあ親のためにこのしんどい生活に耐え続けないといけないのか?私の人生で私の命なのに?なので。
生きてりゃいいことあるよ、って、いつになるかわからんいいことのために、先の見えないしんどい生活を毎日続けるの?
ほんとにしんどい時は、慰めや、死んではいけない理由を聞いても、で?としか思えなかったんだよね。

というわけで。
希死念慮もち、自殺企図なし、未遂もなし、な1サンプルの話です。
あの頃の私に、どんな言葉がけがあったら良かったと思う?からゲートキーパーのあり方を探るのは、多分参考にならない。

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