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『蕃書調所書籍目録寫』「建築類」に見える洋学書たち~幕末の洋式築城術の実態をわんつか知るための個人的メモ~

はじめに 相変わらず縄文に箱館戦争に戸切地陣屋にとバタバタしておりますが、そういえばnoteさっぱり使ってなかったなあと思い出し。 てなわけで最近、戸切地陣屋関係(まあこちらはかなり大きな進展があったので6月半ばの講座でそのあたりを話せればと思っていますが)で幕末の洋式築城に係る文献がどれだけ日本に入ってきたのかな?ってのを個人的にちまちまと調べていまして。 まあその中で国立国会図書館蔵の『蕃書調所書籍目録寫』より、「建築類」に所収されている『目録寫』の中ではカタカナ記

    • 石器ピクトグラムを公開しようかと

      先史遺物を展示している時に、割と言われるのが「石器って我々素人の目には区別つかないんだよね…」という話。 まあ確かにパッと見ただの「石のかけら」が並んでいるだけに見えなくもなく、「石鏃」「石斧」などのキャプションだけからは用途すらつかみにくい…というのは言われてみればそうだなあ、とかねがね思っておりまして。 そこで、昨年度開催の「縄文展」から、石器群に関してはキャプションと簡単な説明に加えて、用途を視覚的に類推できるよう、自作のピクトグラムを添えてみたのでした。 こんな

      • たのしい工作~『尼比恵』札をつくってみよう~

        今回も『尼比恵』がらみの記事です。すみません。 (↑こちらの記事を見て思ったことを綴った、↓この記事の続き的な話です。未読の方は是非お読みいただければ、今回の記事の目指すところがなんとなくご理解いただけるかと思います。) ↑こちらの記事で、自分はこのように書きました。 >あくまで個人的所見ではありますが、平等院の『尼比恵』は、現在ネット上で入手できる情報群から勘案・推察するに、 >「京大附属図書館デジタルアーカイブで公開されたアマビエ(+カラーバー等もろもろ含む)画像

        • 平等院の『尼比恵』は「アマビエ」か

          (当初予定してたテーマと違ってしまいましたが、ここ何日かの備忘まとめとして。すみません。) 先日、こんなニュースがネットで話題になった。 昨年来のコロナ禍の中、にわかに脚光を浴びいまや日本で最もメジャーな妖怪の一柱となった「アマビエ」。その姿を写した札が、「疫病退散 尼比恵」と書かれた封筒に収められ、世界遺産でもある平等院の塔頭から昨年1月に発見されていた、というのである。 札に描かれた絵柄は、現在「アマビエ」を描いた当時資料(とされるもの)で唯一所在が明らかである京大

        『蕃書調所書籍目録寫』「建築類」に見える洋学書たち~幕末の洋式築城術の実態をわんつか知るための個人的メモ~

          『松前藩正議士文書』の信憑性について~『文書』中箱館戦争緒戦に関する記述からの考察っぽいもの~

          『松前藩正議士文書』という古文書がある。 幕末のどん詰まり、元号が明治に変わる目前の慶応4(1868)年8月、松前藩において下国東七郎らを首魁とした不平藩士らによるクーデターが勃発。それまで藩政を掌握していた松前勘解由ら旧臣らが粛清され、体制が一変する。このクーデターの原動力となったのが『正議隊』である。 『松前藩正議士文書』は、この『正議隊』が慶応3年3月に結成の血盟をして以降、正議隊同士によって交わされた往復文書が一綴りになっていたものを美術蒐集家の木村定三(1913

          『松前藩正議士文書』の信憑性について~『文書』中箱館戦争緒戦に関する記述からの考察っぽいもの~