「無謬性」とPCR検査抑制論

無謬性という言葉を知ったのは、恥ずかしながら社会人になって何年も後でした。とても驚いた記憶があります。そして新型コロナでも・・・

日本の政府や大企業の官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」である。「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念だ。

この信念があるため、過去の判断を否定するような判断を今の担当がしてはいけない、と考えるらしいです。間違いを認めない。一度決まった大型公共事業が、不要になっても止められない、止まらない。


ところで。
今回のPCR検査抑制論は、SARS時の体験と無謬性が原因なのではないか、という話を聞きました。確証はありませんが、納得できるので簡単に紹介したいと思います。
(きちんと調べていないので、理解した流れだけです)

まず、2002~03年のSARS(重症呼吸器症候群)の時、日本はとても迅速に対応した。多くの検査も行っていた。幸い、感染はそれほど広がらなかった。しかし逆に、検査が負担だと考えた一部から反発が強くなった。そこで検査抑制へ舵を切った。同時(たまたま)にSARS自体が収束した。だから検査は抑制して良い、という考えが浸透してしまった。(今は川崎の岡部氏など)  →実はこれは、信念バイアス
その当時の検査抑制論者の判断に従い、2020年初め(ダイヤモンドプリンセス頃)にPCR検査を増やさないで対応する、という方針が立てられた(らしい)。その後、検査を増やす方が良いとわかっても、無謬性確保のため増やすことができない。

とにかくPCR検査を行わない、空港検疫も最初は抗原検査、という方向性は、このような経緯で始まり今も続いていると考えると、全部が納得できると思いました。少なくとも、3人目の総理大臣が出て来るまで、無料検査など話題にもあがりませんでした。無謬性があって、過去の判断をなかなか覆せない。これが今の日本なのではないでしょうか。

そして実は、明治時代の森鴎外と脚気の話から何も変わっていない。。。